あだち充の「H2」読んでました。
まだ全部読み終わってないのですが。
幼馴染みはなべて結ばれるべきであると思っている私としては
なんともハラハラする展開です。
恋敵としては明確に牙を剥かぬ(剥けぬ)ままあくまで野球で勝負。
相手を認めているし好きだし、勿論負けたくはないし、
たとえ負けてもそれで自分を納得させてしまったり、自分を許したりしてしまいそうだから
尚更簡単に負けるわけにいかないと思うようなそんな戦いで。
単純に試合に勝った方が恋の勝者かというと勿論そんなことはなくて、
どれだけベストな自分でいられるかどうかって勝負ですよねこれは。
敵にまわした局面でさえなければ一番の親友、と思っている相手とそれを戦うというのは
考えようによっちゃ辛いんだろうけど何か非常にウラヤマCものが。
大好きな相手とやりたいことで認め合える自分だってことですもの。
一番好きなのは比呂が
ひかりが英雄と別れるとしても付き合うのは自分じゃないよ、と言うところ。
なぜならひかりは「俺のことが大好きだからさ」。
LoveじゃなくLike延長線上の「大好き」だからさ、とこの発言を解釈する向きもありますが
それよりもやはり
ひかりは比呂にとっての「ベストの比呂」がなんであるか
分かってるからだという意味の発言、と取りたいです。
比呂は英雄のことを大切な親友だと思ってるし、
その英雄が好きなひかりを奪って英雄を傷つけたりするのが
あるべき自分だとは思っていないわけで。
こうありたいベストの自分を思い描くとき、親友を傷つけるような自分ではありたくない。
それをひかりは理解してるから英雄と別れて比呂に来るようなことはない、
という発言なんだと。
思いたいなー。
それはさておきみんな比呂に甘すぎ。
主人公だからしょうがないのかもしれないが。
少なくとも春華ちゃんくらいはもっと怒ったりしていいような気がしますが
ヒロインの一方だからか性格良すぎて全然怒らない。告白されてんだしもっと妬いてよかろうに。
あだち漫画も最終的に善人しか残らないのか。
まあ最後まで読んでないんですけどね!!
ブクオフに31〜34巻が無いよママン・・・。
※小学校3年生から知ってる、程度では幼馴染みにはなれないようだ。
※要は代名詞として「うちのバカ」とかを使っていられる関係に憧れてるのです。
例)うちのバカがまた迷惑かけちゃったみたいでごめんなさいねー
幼馴染みでもないのにそんな言い方したらなんかこう、美しくない。
『彼氏彼女の事情』17巻まで読んでました。
数年前に8巻かそこらくらいまでは読んだことがあったのですが。
その頃はどちらかといえばラブコメだった筈なのにいつのまにこんなへヴぃな展開にー!!
でも一層好きになりましたが。
タイトルがタイトルだけに失恋や片恋は殆ど出てきません。
おおむね付き合っているか両想いか両想いへと至るエピソードからなります。
そして何らかの心理的外傷とかコンプレックスとか抱えてる人ばっかり。
でもそれが相手の存在で変わっていくといった展開。
孤独が恋愛で埋まる、という単純な構図でもなく。いや単純なのかな・・・
最初の主人公は宮沢だったような気がするのに13巻からすっかり有馬編。だがそこがい(ry
中学のときに甘ちゃんリストカッターが身近にいたこともあってリストカット系嫌いなんですが
カレカノではそこに至る描写が説得力あったんで問題なかったですハイ。
しかし扱われてるテーマがあまりに重いと「実際はどうなんかな」てのも気になっちゃいます。
家庭問題絡むとむずかC。
というわけでエヴァ9巻が出てましたハイ。
アニメシリーズとは逆にというか、シンジがカヲル君に対して反発心を抱いております。
ここからどうやってアニメにあったような
「僕の心を裏切ったな」展開にもっていくのかはたまたもっていかないのか!!
とかが気になるところです。(コミックス派)
ところで最近になって村上龍の『超電導ナイトクラブ』を再読した。
初出は1986〜1989の作品である。
他人の経験をデジタル化して再生し追体験できる装置というのがこの小説には登場するのだが、
心臓発作で死ぬ人間の経験を再生する際には循環器系の接続をカットして
他の刺激のみを受ける状態にしないと死んでしまうという設定になっており。
どっかで聞いた話だな、
「神経接続カット!!急いで!」
そうですエヴァですこれは。
とか思いました。庵野ってほんとに村上龍好きなんだね・・・
でも相田剣介と鈴原冬二(ともに『愛と幻想のファシズム』の主要登場人物)を
ああいうキャラで登場させるのはどうかと思うのでした まる
最近漫画づいておりますゆえ 一条ゆかり PRIDE(2) 購入。
(1)についてはこちらで触れてますのでよろしければどうぞ。拙文です。
(2)の方ですが、相変わらず貧乏家庭の娘の方が好きになれません。
思うに個人的経済問題まで含めて片思いの相手にしてスポンサーたるレコード会社副社長に
頼るあたりがなんとも苛立たしいわけで。
実際に副社長秘書はその依存度の高さにキレ、
しかもそれを後できっちり仕返しされてしまったりするのですが。こえー女ー(´д`)
一方お嬢様は歌う仕事をしているお店で
自分の声がきれいとか容姿に華があるとかは言われても
歌については誰も耳を傾けてくれないことに不安を感じたり、
激しく甘え下手なところへ甘えてもいいんだと教えてくれた調子のいいイケメンに心が傾いたところで
歌姫として彼が求めている理想に近いのは自分よりも貧乏家庭の娘であると知って
割と精神的にぼろぼろになったりとかします。
依存含めて甘えたり頼ったり人心あやつるのがうまい女VS甘えることをようやく知り始めた女。
そんな二人が初めて歌で共演!!する!?ってところで幕は降り。
そうです結局『彼氏彼女の事情』18巻買ってきちゃいました('∇'*)
しかし怜司は閉ざされた扉の中この言葉を背に受けながら静かに微笑んでいる。
万事につけ好きなものは好きで嫌いなものは嫌いと率直にあらわす怜司のことなので
自分が好意を持たれていると知りつつそれを弄んだり
あるいは切り捨てたりして相手が傷つきうろたえることに愉楽を見出し自己確認を得るような
その手の魂の卑俗さは持ち合わせていないに違いなく。
ただ恒久的に父親では在れないのだろう。
---
例えば親であるとか教師であるとか尊敬と思慕の対象になりうる立場の存在が
自分の能力を、努力を、存在を認めてくれなかったとしたら。
そしてその親なり教師なりが実に優れた能力があり尊敬するに相応しい人間であればあるほど
認められたいという渇望とそれが叶わぬ絶望は深い。
そして彼らもまた感情の面ではただの人間であるがゆえにそれを責めることはできないのだけれど
その絶望は人を追い詰め歪め、救われぬ妄執へと運んでしまう。
デスノート(2)買ってきました!!
相変わらず面白いんですがいろいろ気になりどころがあったり。
・ナオミが物証もなしに"高校生捜査官"なんていう存在を信じるのが謎。スケバン刑事みすg(?
「Lなら信じられる」それはいいとして「Lに似ているから信じる」てなによ。
そんな感覚的に動いてて元優秀なFBI捜査官とかおかC
月じゃないけど「この女バカだ!!」と思います。
・ナオミが消息を絶つ前に月と会話していたことは受付の人に見られてるし、
本部の人に会わせろと騒いでいたナオミがその目的を果たさず消えているし、
なおかつレイが尾行していた人間に月が含まれているというのは
疑いの目を向けさせるには既に十分なのではないのか?
要はナオミまわりが気に入らない。レイが死ぬあたりまでは面白かったです。
大体「この人は信用できる。目を見ればわかります」なんて若造に言われてもねぇ、
初対面で人に対して信用とかなんとか口走る奴ってホントろくなのが居ないだろうに
とか思うのですが切羽詰まってるとそんな判断力も失われるものでしょうか
って切羽詰まってたら判断力鈍るようじゃ芯の強い優秀な捜査官にはなれnゲフゲフ
あと個人的には月が醒めすぎてるのが気になります
もうちょっと家族に愛憎とかないんですかねーこの人・・・妹すら可愛がってねぇよ・・・
このままじゃお父さんとか殺す展開になってもいまいちつまらないような(何
デスノートコラが面白い。
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/csaloon/1089599525/
ちなみに582-589+598の展開が本題とずれててなんかオカスィ
SPA!は相変わらず微妙な特集やってるんだなぁ・・・
あすなろ白書久々に読んだら浮気って一体なんだろう(´-`)という気分になりました
・デスノート3巻
・BLEACH14巻
・ブラックジャックによろしく9巻
・バジリスク5巻
が出てましたのでー。読んでみました。
というかBLEACHは11巻くらいから読んでなかったから割とまとめて。
バジも4巻から読んでなかったのでまとめて。
ですの→ですのコラでいくつか場面自体は見たことあるものが多く出てきてたので
Lとライトがテニスするのとか知っちゃってて。知らなかった方が楽しかったかなあとは思いました。
腹上死のとこはなんかもう腹上死の印象が強すぎて
お母さんが怒って出てっちゃいましたなコマにしか見えない。
でも本編の夜神父かっこいいなぁ。コラだとすごいアホキャラ扱いですが。
あとLは姿勢悪いのはさておくとしても紙の持ち方がまるっきりサルなのがちょっといやん。
BLEACH→夜一さんががががー!!
っていうかほんとああいうのバラす瞬間ってゆかいゆかいって感じです!!(元ネナベ語る)
ブラックジャックによろしく→「先生かわいそうな人が好きなだけなんでしょ?」はグッときたなあ。
つーかこの本毎回すごいんですよね。絵柄が受け付けない系なんですがお勧め。
今回は精神科です。僕はキチガイじゃないと叫んで走り回る統合失調症の青年が出てきます。
可哀相だと思うこと、守ろうとすること、
それらすら精神障害者への差別であると主人公に対して問題提起がされます。
差別の問題はよく考えますが、まだ明確な答えは出てません。
自分の中の差別に悩めばこそ電車で席を譲れない瞬間も出てきます。
そーいうことももっと学校で教育してほしい、とか思います。
バジリスク→これもネタバレスレとかで展開知っちゃってたので・・・まあでも面白かったです。
あと思うところあってハンタを最初から再読してみました。
やっぱGI編までというかGI入手するまでというか
要するに旅団と絡んでるあたりが面白いんですよハンタは!!
旅団(とクラピカを)出せ!!と思いました。
最近ので言えばパームさんが激しく笑える全然他人と思えませんハイ。
特技は粘着です。
しかしそれでもあんな風にお洒落したときだけでも可愛かったらいいのになぁ(´・ω・`)
ああいうのを書いてのけちゃうから多分私は冨樫信者なのです。
憎しみは当事者を変える力を持っているけれど、
愛は他人をも変える力を持っていることを知りました。
やだなーもー愛とか。普段言わねえっすよ。
でも涙腺腫れそーなくらいこの作品で泣いたから今日は言える。
10年後にまた言ってやる(違
あと鉄男カワイイ(*ノノ)
あと久美子は○○とくっついてほしかった派(1/20)
良い子のみんなはコメントで(2/20)とかにするときうっかりネタバレしちゃだめよヽ(・ω・)ノ"
(コメントつくのか?
渡辺多恵子の「はじめちゃんが一番」を再読していたのですが
江藤亮の日本語の不自由っぷりが愛しい。
人を見る鋭い観察眼と先入観や他人に惑わされない判断→脳内では的確→
でも日本語が不自由→結果として毒舌and/or天然
なわけですが。江藤亮。
この漫画は
「ふしぎ遊戯」同様かっこいい男の子が大量に出てくるという意味で激しく少女マンガなので
男性にはストレートに勧めかねます。モデルは光GENJIだしね。ポジティブでいい話なんですけどね。
でも結構ふしぎ遊戯もみんな読んでんだよね・・・(笑
ここ数日で読んだもの。
・HUNTER×HUNTER(21) 冨樫義博
・DEATH NOTE(5) 大場つぐみ/小畑健
・無限の住人(17) 沙村広明
・花よりも花の如く(3) 成田美名子
・日本橋ヨヲコ短編集 日本橋ヨヲコ
・プラスチック解体高校(1)(2) 日本橋ヨヲコ
以下、感想。
[>ハンタ
そんなに白くないです。面白いです。キメラアントの「王」が誕生する巻。
パームさんの"恋愛というものが自分に何かをもたらしてくれると思い込んでやまない"様子が
なんともリアルに描かれてるのでこの辺りの流れはお気に入り。
そして救出されたカイトの表情がすごいです。小さいお友達はトラウマになったりしないでしょうか。
[>デスノ
ぐだぐだ。
女に優しい月なんて月じゃありません。
Lの風貌がセンリツ(ハンタの)に似てきた気がします。
[>無限の住人
吉野瞳阿が夷作なしでは存外に脆いところを見せつけます。
前巻までの傍若無人さに呆れていたような人のハートもがっちりつかむ勢いです。
そして凛が瞳阿に逸刀流ということを踏まえた説教をしたりします。
これはぐだぐだと言われてるのをなんとかしようとしているんでしょうか。
[>花よりも花の如く
個人的に成田作品はン十年間くらい読んでますが、
基本的に人と人とのかかわりをテーマにしたハートウォームな作品を描く方です。
この作品もその例にもれません。ギャグは少なく真面目な雰囲気の中に静かな温かみがあります。
能役者さんを主役とし、能や普段の生活を通していろいろ考え成長していく様を
1話完結形式で描いています。能の知識がなくても楽しめます(観に行きたくなるし)。
割と心理学的なところを踏まえたエピソードも出てきます。シャドウの話とか。
成田作品(ちなみに"CHIPHER"でですが)にも出てきた言葉で最近実感しているものがあります。
「愛情は増える」ということです。
子供が2人いたら100あるものが50+50になるのではなく、100+100になるんだ、とかそういうの。
勿論増えたものの全てが同じ愛の形になるとは限らないのですが。
そう思うと浮気とか妾とかっていうのも形式として否定されるものではないと思い始めた今日この頃。
(とはいえ悪意のない二股がOKかっていうのとはまた別の話で。)
[>日本橋ヨヲコ短編集
高校生が主人公の青春ものの短編。
多くは語りませんってか語れません。見かけたら買え。読め。読んでくださいおねがいします。
[>プラスチック解体高校
これも高校生もの。
ちなみに「G戦場ヘヴンズドア」に出てくる町田都さんと同名の絵の上手い子が出てきますが、
性格は少し違うっぽい。
「みんな僕のこと嫌ってる気がするんだ」
「そうかなあ」
「そうだよきっと」
「みっちゃんがみんなのこと嫌ってるんじゃないのかな」
ああっこんなとこにも君達がいて僕がいる!(何
これも四の五の言わずに買え。読め。一生のお願いです。日本橋ヨヲコはあなたを救います。
日本橋ヨヲコ作品とは私にとって、
自分に近い苦悩をその中に見出すのがあまりにたやすいのですね。
そんなこんなで人にも勧めまくりだったりするわけですが・・・
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これは買ってないけれど。
アフタヌーンで連載されててアフタコミックスは絶版になっていた
五十嵐大介「はなしっぱなし」が河出書房新社から出ていました。
アフタ系ってことでks子さんあたりにおすすめ?
きづきあきら「ヨイコノミライ!」がオタクの集団を描いててイタいというので
早速1巻〜2巻及びコミックシードでWeb上から閲覧できる分について読んでみました。
以下、感想というかなんというかキャラ評を介して。
「感想と批評の区別もつかない自称批評家」−天原
天原を定義づける上でこのコピーは決して適切ではない。
彼は自分を周囲の人間よりも高次の存在であると思い込んでおり、
そのことで自意識を保つタイプの人間である。
彼の口にする"批評"は周囲の人間を批判し、
自分がより上の存在であることを確認するための手段だ。
故に他人のアラを突くことさえできれば
それが感想であろうが批評であろうが天原にとってさしたる問題ではない。
区別がつかないのではなく、天原的文脈の中でその二つは区別される必要がないものなのだ。
天原が青木に自分の好きなDVDを貸すのは、
青木が自分の同好の士・理解者たれると思ってのことではない。
天原が求めているのは同好の士ではなく、"頭脳明晰でセンスの良い自分"を褒め称える信者だ。
自分がそう在りたいと望む"凡人より高次の存在"として認めてくれる他者だ。
相手との会話を行わず自分の言いたいことばかり話すという行為は
天原と平ちゃんに共通する部分だが、
天原にとって話すという行為は自らの権威を確認するための手段であるという点が
平ちゃんのそれと明確に異なっている。
「現実が直視できないオカルト少女」−平松かの子
L氏がヨイコノミライの登場人物達のことを
『「このキャラ以外に私は他人と会話する方法を知らない」っていうタイプのキャラ作り』
と表現していたが、それが最も顕著に表れるのが平ちゃんにおける"霊感"であると思う。
平ちゃんには明らかに霊感は無い。
彼女が口にするそれは"人とちょっと違う自分"として存在を認めてもらいたいが為の嘘だ。
平ちゃんが井之上(部長)と居る時に自分の関心のあることばかり話すのは、
「仲間だと思い込んだ相手には勝手に期待」し、
「自分の全てを受け入れてくれるんじゃないか」と思い込んでいるゆえである。
(上2行の括弧内は青木発言によるもの)
同時に平ちゃんの中には
"自分がこれほど好意を寄せているのだから
あの人も私に好意を寄せてくれているだろう(そうなってくれるはずだ)"
という思い込みが存在していると言える。
井之上に対しては"きっとこういうのが好き"という思い込みから一人よがりなデートプランを立て、
羅☆ガッシュに対しては"きっと前世からの宿縁ある人"という思い込みから押しかけ厨と化す。
周囲の対応によって平ちゃんの思い込みが補正されることがないのは、
その思い込みが破られるということが平ちゃんにとって耐え難い苦痛であるからに他ならない。
彼女にとってはそれこそが世に処するにあたって唯一纏うことのできる鎧である。
「声優気取りで甘えた声…自己愛の強烈なナルシスト」−大門夕子
夕子から自己愛を適切な量除去すると近藤ゆか(『敷居の住人』の)になる。
と思った。
望んだように他者から受け入れられないと知ったとき、夕子は愛され方を考えるのではなく
自らのありように合わせて都合良く妄想の世界を構築することを選んだ。
漫研という小さな社会の中で夕子は自分の居場所を守ろうと汲々とし、
それを侵害するかのように見える青木を敵視する。
表向き友人として扱っている詩織は、夕子にとって半ば道具に過ぎない。
都合良く振舞ってくれないときにはあっさりとこき下ろし、
しかし居ないと困るので媚を売り繋ぎ止める。
それだけだと本当に嫌な女なのだが、
"詩織が自分には本心を見せていない"という現実に対しては不思議と正確に把握している。
そして依存的にでも皮肉としてでもなく、笑みを浮かべてそれを指摘する。
そこが意外な冷静さを感じさせ、憎めない。
「文芸部からはみだしたボーイズ作家」−桂坂詩織
詩織は悟りきったような態度で漢語を多用して喋る上に僕女でリストカッターですが、
わがまま夕子に対しても寛大さと誠意を持って接しているさま、
また青木を守ろうとする真っ当な正義感を見るにつけかなりできたヒトな気がします。
リストカッターと言ってもそれをひけらかすタイプではなくどっちかというと
クールを装いながらも自罰的な性格の描写と
青木につけいられる隙としてのわかりやすい属性をつけてみたって感じ。
衣笠瞬とは結構うまくやれそうに思うんだけどなぁ。
というか個人的にその組み合わせでうまくいってほしい(何
「口ばっかりプロの半可通」−有栖川萌絵
デブでゴス好き(デブなので自分で服を作る)の萌絵ちゃん。
確かに漫画に関しては口ばかり達者なところもありますが、実際には絵も上手だし
平ちゃん等身近な人には素直に不安をあらわす可愛らしさや
批評を受け入れる謙虚さも持っています。
彼女はその体型ゆえに男性から愛されない存在として自分を規定しており、
それゆえその攻撃性はもっぱら男性に対して発揮されます。
おそらく萌絵ちゃんは和馬によって女友達を敵に回すように仕向けさせられた挙句、
和馬に手酷く裏切られることで男をもこれまで以上に憎まざるをえない状態に
追い込まれる筈だと思うのですがそれは多分ちょっと見てて辛いことになるだろうなぁと思います。
ちなみに私が自分に一番近い存在だと思ったのが萌絵ちゃん。いや服とか作れませんが。
部長−井之上
公園のベンチで寝入ってしまった青木を眺めての台詞。
「人と目が合うといつもニコニコして自分では気づかれてないと思ってるみたいだけど
青木さんは時々とても厳しい顔をしてる時がある」
ほんとに巨乳(とか凹んでるときに自分の価値を認める言葉を絡めて
笑顔で励ましてくれる可愛い子という存在)じゃなくてそうした青木の闇を見てとって
惹かれたというのであればなかなか見所のある奴だと思いました。
でも両方なんだろうなぁ。
青木
巨乳じゃなきゃ好きなキャラなんだけどなぁ・・・。
人により各人を守るための鎧、或いは他者とかかわるために取る手法はそれぞれに違う。
オタクというのが他者からの認証を求めつつも自分が傷つくのばかり敏感であるがゆえ
同時に他者との関わりを激しく拒絶し制限するという特異な手法を選ぶ人々だという事実を
この漫画は描きだしているといえよう。とか言ってみる。
これもL氏の言う「オタクがコミュニケーションを試みる10の方法」
という表現は素晴らしくマッチしていると思った。
余談ながら私、右手中指が第一関節から薬指側に曲がってます・・・。
絵描きさんだと思われちゃうのかしら!あらやだ!!
ハチミツとクローバーを初めて読みました。
もー森田さんがお気に入りすぎて萌え死にそうです。
無茶でバカばっかやってるけれど実はみんなのことをちゃんと見てて気も配るし
ふらふらしてるように見えて人懐っこかったり細身で長身でビーサンでもうもう><、
でも森田さんは眼鏡かけてないので眼鏡分は野宮さんで補給します。
つーか野宮さんは本当にオトナで。かっこいいとか越えてる気が。
「外面ばっか良くって他人にいいとこばっか見せたくて
取り繕えなくなった所でいつも恐くなって逃げ出す」真山も
それはそれでツボというか痛いところを突かれるようで山田の気持ちがよく分かる。
真山はまだしっかり目標とかあるからいいけれど
真山のほっとけなさ満載感を更に増幅したが如き人に
「あなたにして貰いたいことは何もないから」的に拒絶されっぱなしで放っておかれますとね。
未練とかそういうのじゃなくても痛みが残るのです。
せめて大丈夫だって所を見せて欲しいと(少なくともいつかは見せてくれると信じられるだけの
関係性を保ちたかったと)思うのは我儘でしょうか。
が出てました。
ぐだぐだと言われがちなむげにんですがこの巻は(・∀・)イイ!!です。盛り上がります。
泣かせ系説教あり拷問あり殺陣あり別れあり。火焔蟲カコイ。
なんだかんだ言いながらも
断ってよい命とそうでない命の線引きはどこか、そもそも線は引けるのかというテーマで
ちゃんと話が進んできてる気がする。
尸良という粘着系サディストに対比させるが如き爽やか系サディストの咲楽様がなかなかいい感じ。
日本橋ヨヲコ作品の既読のものの中で
「プラスチック解体高校」だけは少し苦手だ。
先日、直視という人はどんな人だろうかと考えていて
漠然とその理由が見えてきた。
直視が生まれついての美人で自分でもそれを分かっていて、
美しさを武器として扱える人間であることも感情移入のしにくい一因なのだが(苦笑)、
それとは別に、直視が「土俵の外側から攻撃する」傾向があることに気が付いた。
入学式にナンパしてんじゃねえ/されてんじゃねえと言われている中で啖呵を切るために
惚れてもいない男にキスをして場の度肝を抜く。
クラスメートを中学時代にいじめていた奴らに「勉強しかできないくせに」と言われ
「じゃああんたは何ができる?」と問い掛けておいて
自分自身は「好きな男の子どもが産める」と言い放つ。
直視は喧嘩を売るにも買うにも、土俵ごとひっくり返してしまう。
相手は論破されて黙り込むというよりは、納得行かず白けるのだ。
いつそんな論点での話になったの?と。
中学高校時代ならあったでしょう、
親と喧嘩してて「誰に食わせてもらってると思ってるんだ」って言われるみたいなやつ。
うまい例えではないのだが、ある意味であれに近い。
一見、直視に攻撃されてる側の方が
「中学時代にいじめをしていたことをその子の高校でのクラスメートに吹聴する輩」であったりと
"悪"の側のキャラクターであるから、凹ませることのカタルシスについ見過ごしそうになるけれど。
土俵に相手を上がらせた後でそれをひっくり返すくらいなら、
何か喋るよりはストレートに拳に訴える方がまだしも爽快ではないのか。
そしてまた、直視が辻褄の合った・かつ正論である論駁を行って
しかる後に相手をしたたかに殴りつけるというシーンはちゃんと描かれてもいるのだ。
一貫してそういうキャラであったなら作品ごともっと好きになれただろうに。
途中までこなれてなかった?(笑
まあただの論理好きなんですわな私が。
『Q.E.D.-証明終了-』を読んでいる。
推理モノの1話完結型漫画なのだが、
探偵役は幼くしてMITを卒業した15歳の少年である。
何を思ってか日本に帰国して普通の高校に入学し、変人との呼び名も高い"燈馬想"。
彼が、おせっかいでじゃじゃ馬・正義感が強くて困っている人を放っておけぬ性質であり
刑事の娘でもある"水原可奈"によって毎々事件に首をつっこまされ、
謎ときをしていくといった形で話は語られる。
「マンガだから」で済まされるようなあまりに荒唐無稽な描写はそこには出てこない。
かつ、あくまで筋の通った論理に基づいて全ての事件は解明される。
これは正統派のミステリである。
と、まあ派手さとかはそれほどじゃないんですけど面白いです。
燈馬と可奈の友達以上恋人未満感も見どころ。ていうか可奈が照れてまして。
付き合っているのかと人に訊かれると「付き合ってない」と必ず怒るんですが
コミックス16巻で同じ質問をされた際の燈馬の答えが萌えすぎ。
いや男が読んだらどうなんだろうとかよく考えたらそんなことでいいのか!?とかいろいろ思えども
初読時は「この人を私に下さい」とか思った。(何
燈馬も一見クールに見えつつ気を許した人間に対しては身を呈しても守ろうとする系なので
人情話とか多し。
(しかし誰かを庇う際に「○○はそんなことするような奴じゃない」
とかいうことを決して言い出さないってのが実に理系男子的で良い。)
真実を解明したが為に悲劇があかるみになってしまうケースもあり。
思考にバイアスがかかってるand/or一方向からのみの視点で語られていたために
(読者サイドが)ミスリードを誘発させられるケースとかそれなりに出てくるので、
欲を言えば"登場人物の思考のバイアスが盲点をそして悲劇を生む系"で
もっとひねったやつというか暗い面を深く掘り下げた話というか。が欲しいです。
まあ根が少年漫画なので心理描写は明るく単純にって感じなのかも。
あまりややこしいことはやりません。17巻「いぬほおずき」とかが個人的に微妙なんだけど。
暗い話自体はあるけど描写がさらりとした触れ方なので読後感も悪くならず。
あと、レンブラントが実は弟子の作が混じりまくってるとか
コダーイの無伴奏チェロソナタのチューニングが平常のと違うとか真空管の話とか
雑学・薀蓄系も背景にあれこれ盛り込まれておりこれもまた大変楽しませてくれる。
以下こまい点。
・妹初登場時のエピソードで、こんなに分かりやすい燈馬の性格を
妹が誤解してたってのがちょっとアレ。近すぎて見えてなかったとかそういう話なんだろうし、
そもそも燈馬の性格を印象づけるエピソードの一つだからしょうがないけど。
でも犬の話なんて読んだ瞬間わかるぞ……。
・例えば燈馬が殺人事件の容疑者にされて云々とかも王道ストーリーだと思うんですが
ここまで人を恨まなそうな性格(及び家族が健在であること)がはっきりしちゃあ
そういう展開が出てこなそうすぎる。
(『虹の鏡』では重要参考人にされてたがあれは心配されるだけだったし。
もっと可奈の認識がぐらぐら揺らされるようなのを希望(何))
・アラン(ソフト会社の社長で、燈馬を引き抜きたがっている)が
性格が幼稚な上に頭も悪いので出てくるとつまらない。
お邪魔キャラはそれはそれでいいんだがそれなりの魅力がないと。
・絵柄やキャラ造形がちょっと古いかも。まあそう気になるほどではないのですが
もしこれが小畑あたりの絵だったらとか想像するとなかなか。
最近ミステリづいてるんですが実はクイーンもクリスティも読んだことがなかったり。
そんな私のミステリの目覚めというのは
黒岩涙香『幽霊塔』とM・ルブランのアルセーヌルパンシリーズ、
そして金田一耕助シリーズの映画『悪魔の手毬唄』なのである。
逢坂みえこの「ベル・エポック」文庫版7巻を読んだ。
主人公・鈴木綺麗は30過ぎの雑誌編集者。
目下編集部に勤めている少年マンガ誌「少年ガッツ」にて
看板作家の扱いになっている小坂先生という人がいる。
7巻はこの小坂先生の漫画家になる以前のエピソードから
新米編集者に原稿なくされるエピソードから
その新米編集者とぽわわな感じになるエピソードと
あたかも小坂先生特集巻とでも言うべき内容なのだが、
「小坂みえはる」という小坂先生のフルネーム、
「逢坂みえこ」との対比だったことに今日始めて気づきましたよ。
というのも
小坂先生が少年ガッツで連載しているという設定の
『火消し屋小僧』という作品があるんですが。
逢坂みえこ自身が青年誌に『火消し屋小町』という作品を
連載してたことを今日知ったことで
その関連性に初めて気づいた次第。おそー!
若干ふてくされていたんだけども。
ふてくされてる暇があるなら
って訳でもないが(私は負の感情もそれはそれで慈しむ主義なのです)
本でも読もうかと。
リリーフランキーの自伝っぽい小説も読みたいんだよな。
25くらいまで定職持たずにフラフラしてて
今なお"○○屋"って一枚看板を掲げはしないリリーフランキーの話。
最近読んだマンガ
[>東京ラブストーリー(1)〜(3) 柴門ふみ
かつてのトレンディドラマの華。
しかしドラマも未見、マンガも今回初めて読む。
赤名リカの
恋愛にエネルギー注ぎ込みすぎなとことか
それでいて伝え方はOut of Controlなもんで
周囲を疲れさせるところとかが割と他人事に思えません。
つか、3巻じゃ途中。
[>フラワーオブライフ(1)〜(2) よしながふみ
白血病で1年と1ヶ月遅れて高校生活をスタートした春太郎と
学校の友達の交流を描く学園モノ。
よしながふみなので
人間模様にちょっと深めに首突っ込んだ感じの
台詞回しがなんとも素敵。
2巻の最後の春太郎と姉ちゃんが喧嘩するところが良い。
どっちも突込みどころ満載の罵倒を投げ合って、謝らずに迎えた朝でいつも通りのやりとり。
謝る方が好きだけどさ。こういうのも家族らしくて。どっちも悪かったって思っていればこその朝。
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帰りに本屋寄ったらスペインの宇宙食は無かったので
鉄鼠の檻分冊版買っちゃった。分冊で4冊ってなんだよおい。長すぎ
『少女ファイト』がイブニングに載ってるので立ち読みしてきた。
今月号で第3話。
バレーボールをやっている女子高生が主人公の話。
で、ここまでの感想をば少し。
主人公の大石練は
周りに比べて突出しすぎたバレーの才能の持ち主なのだけど
さまざまな理由からそれを抑えようとし
それでもなおバレーを続けている人間として描かれている。
やはりこういう
単純に「好き」とは言い難いほどに強く
何かひとつのものに囚われ苦しめられる中で
そこから逃れられずに求道する人間を描かせたら日本橋ヨヲコはうまいよなぁ。
3話目で提示された練が自分を抑える理由のひとつというのは
トラウマになるのは理解できこそすれ、
結果との因果関係としては個人的には弱いと感じているんだけどね。
この先どうまとめていってくれるのか楽しみ。
何故弱いと思ったかというと
才を隠し普通であろうとする背景には
突出していたが故に人を傷つけ忌まれ疎まれ
孤独を強いられたけれどもそれは決して望んだものではなかった
という流れがあるものだと思うのだ。
それを考えるともう一つのエピソードの路線で
徹底的に描かれてた方が納得できるかなあってね。
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自分にとっては
たとえ取り組む対象を変えてもその類の桎梏は追いかけてくるものであって
つまりは才能以前にコミュニケーションの問題なのですけど
それでも初めから
ひとりでできることに情熱を傾けていたのであれば
どんなに熱が嵩じても孤立することにはならぬであろうに
と思ったのだが
どうしても人と関わるものについて必死になってしまうからこれがまた
柏木ハルコ『いぬ』『花園メリーゴーランド』を読んだ。
---ネタバレ?なので未読かつ既に読もうと決めてる人は以下は読まない方がいいかもです---
さて『いぬ』ですが。
一頃あちこちで紹介されてた気がするので噂には聞いたことのある人が多いんじゃないかと。
私もそのくちでした。
愛犬を病気で失ってしまった大学生の女の子が居ました。
彼女結構可愛いくてそれなりに男に不自由してないんですが、
恋愛対象になるようなかっこいい男の子には性欲を持てないたちで。
かといって性欲がないわけではなくむしろありすぎる方だったというか
愛犬が病気になってしまったのもそもそもバター犬として使ってたからという背景があり。
そこで性のはけ口としてさえない男の子に白羽の矢を立てたのだが、
実はさえない男の子は彼女に恋をしていて…ってな話。
まあ設定自体はアリだと思うの。
です。
ですけど。
女の子は一応「こんなこと頼んだら失礼よね」とか考えたりするのだが
その理由がちょっとズレてる。
さえない男の子は「俺のことどう思ってる?」と訊いて「犬かな?」と言われてショック受けたり
それでも「こんなことするってことは俺のこと好きなんだよな??」と甘い望みを持ってたりする。
さすがに男の子の方の認識は徐々に変化していくのだが、女の子の方は大体ずっと変わりなし。
言葉にして語られない部分は各人の中で都合良く解釈され、
思考のすり合わせは行なわれないまま話が展開していく。
しかも殆ど全ての登場人物において、である。
それに一石を投じるかと思わせる人が出てきたと思ったら、結局そうではなかったりとかな。
それでも一見しては恋愛と見なされるであろう手続きを踏んでいたりする。
いわば「新井理恵『タカハシくん優柔不断』に例えれば登場人物が全員萌奈美」状態ですよ。
でもってそれを異常とする視点等は一切描かれない。
コミカルなタッチで描かれてるのに
誰も他人の考えていることなど本当には分かっていないし
分からなくても分かろうとさえ思わなくても幸せになれるのだ、という話に見える。
怖いというかおそろしく不安な心持ちにさせられました。
『花園メリーゴーランド』の方は
乱婚制が習俗として残っているような村に迷い込んでしまった少年の話で、
しかし外部とムラとの間で
価値観を全く異にしながらも心を通わせようとする様が大きなテーマとして描かれてるので
こっちは全く安心して面白く読めるものでした。
なんかある意味もののけ姫っぽいな。
宇仁田ゆみ『スキマスキ』を読んでみた。
一読して連想したのは、同じく窃視の物語である
村上春樹『回転木馬のデッドヒート』所収の短編『野球場』だ。
被窃視者が窃視者に近付いてきて切り取られた空間から現実へ侵入してきたときの心情を、
『野球場』は嫌悪感(その根底にあるのは罪悪感であり後ろめたさである)として
徹底的に描いているが
『スキマスキ』においてはあまりそうした角度からの描写は見られない。
自分だけが窃視者と思っているヘイサクが
窃視行為がばれるかばれないかの綱渡りを意識しつつもフミオに惹かれ距離を近付けていく
(ただし実際には窃視行為はバレている上にフミオからもまた窃視されている)という構図は面白いが、
被窃視者が同時に窃視者であるということで
おそらくフミオ側に生じるであろうと考えられる共犯者的な意識や、
被窃視者であると同時に窃視者たることを選択する理由が
あまり突っ込んで描かれていない点に物足りなさを感じた。
非日常であり暗部であるはずのスキマを介して出会った筈の二人の決着としては
アレだけじゃあっけないというか。個人的にはカタルシス不足。
それにしてもこの作品に出てくる女子は全てそれぞれに可愛い。すごい。
あたしゃ華ちゃんが好きですが!!
まんが編
[>井上雄彦『リアル』(5)〜(6)
居酒屋での野宮の啖呵(「いざかやでののみや」ってわらうとこ(違))と
高橋父が嫌味言われたときの反応が大変良い。
『リアル』は大好きなんだけどとにかく遅いからなあ…。
後から通して読むと「あれこう来たのにこうなったの?」みたいなとこもあるし。
まあそれを計算に入れても圧倒的(って何?)に良いのですが。
[>西原理恵子『パーマネント野ばら』
良かったけど、結婚とか離婚とか(!?)して夢や希望が枯れきってから読むと
また違う面白さがあるはず。まだサンタさんは居るって信じたい年頃なんですよ…!!
えいが編
[>『汚れた血』
主人公がD.ボウイの曲に合わせて走るシーン(ここが実際一番有名らしいが)だけは大変良かった。
けどあとはどうにも退屈で途中で寝てしまった。この手の映画はあまり合わないなー。
但しジュリエット・ビノシュとジュリー・デルピーは大変美しかった。それだけでいいやもう的
00:01:25 n*******: いまな
00:01:32 n*******: やきうのまんがよんでんねん
00:01:51 e***: アストロ糾弾か
00:01:55 J**_***: ほう
00:02:05 n*******: もっと現代のものです
00:02:18 e***: 『おれとカネやん』だったか。すまん。
00:02:22 J**_***: キャプテンかドカベンだろうなあ
00:02:33 n*******: せめてプレイボールにしてください
00:03:02 J**_***: あだち充か
00:03:02 e***: 「花形」かもよ
00:03:23 n*******: 南を甲子園に連れてって
00:03:27 J**_***: 巨人の星か
00:04:03 e***: まあ「おおきく〜」であろう
00:04:21 n*******: うむ
00:04:28 m**: 逆境ナインの名が出ていないことに絶望した!
お前ら『すすめ!パイレーツ』忘れてるなんてひどいですよ!
千葉パイレーツは永遠に不滅です!!
そんなわけで
ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』(1)〜(7)を読んだ。
ひぐちアサは微妙に読まず嫌いしてたんだけど
やられた、と思った。
高校野球の物語であるこの作品、序盤で話の中心となるのは
投球を愛し努力もし個性も長所も持っているにも関わらず
中学時代の体験から萎縮しきって自己否定の塊になっているピッチャーの三橋君。
気の弱さから来る従順さと正確な制球力という三橋君のパーツのみを
自分の理想を具現する道具として当初扱おうとしていたキャッチャーの阿部君。
そのいずれもが
かつて音楽と関わっていた時期の自分に重なるところがあり
いきなり感情移入度が半端なく高かったのだが。
一人の意識が変わり、それに呼応するように相手が変わっていく、
その相互作用が繰り返され関係が変容し広がっていく様が
つぶさに描写されつつ物語が進んでいく。
やられた。
自分はやっぱり成長譚が好きなんだなあと改めて思った。
(ここまで見る限りでは)みんながみんな
野球に対する愛だけは並ならぬものであり
そこに関してはほぼ迷いがないという
いかにも正統派スポーツ漫画らしい前提はあるものの、ね。
完璧な人間なんて誰もいない中、ひとつの目標を目指す上で
周りも自分も良いところをきちんと見て認め
悪いところがあれば直し
異なる個性をそれぞれ適所で活かしていくという
ただそれだけの一見シンプルなことが
口では簡単に言えても現実にはいかに難しいことか。
そのたやすくはなさを認めつつ、しかし決して不可能でもないものとして
この物語では描いているように思える。
ものでも人でも
うまくいかなかったり必要なかったりしたら
切ってしまえばそれでいいやと思っていたら
良いところをきちんと評価しようだとか
悪いところを直そうだとか
どこか本気では思えなくなる。
実際に関係を切らなくたって、気持ちの上で切ってしまっていたらそうなる。
この扱いにくい三橋君を阿部君は切ろうとしなかった。
最初はその怯えきった態度に苛立つこともあったけれど、
それでも三橋君の長所に目を向けた。
もっとも阿部君がそうしたのは
彼の地の性格の良さと、加えて他の理由もあってのことだったのだろうけれど。
そういう二人が出会う辺りはさすがにフィクションならではか。
現実を生きる我々はとりあえず阿部君の出現をあてにせず
自力でエースを目指すしかないわけなんだけどね。
私事ながら少々
能力の欠落に凹んでいるタイミングでこれを読んだものだから、
なにやらアンサーソングみたいな感じで響いたのだ。いやソングじゃないし。
よかった。
ところでこのマンガ随分人気あるらしいですね。アニメ化とか。
なんかそういうの聞くと微妙な悔しさを覚えなくもない(笑
わかってほしいと思う反面で
そーぅ簡単にはわかってたまるかとも思う心理
(シーツにくるまって膝かかえるハチ@プラネテス2巻)
が読まず嫌いを助長するものなんだなあと改めて思ったりした。
シゲ周りの展開がシゲに甘いという話
(1巻で「アメリは女の願望映画だ」という台詞が出てくるが、4巻はある意味シゲの願望漫画と化している件について)
# いわゆるテクスト論的な考え方からすればめちゃくちゃな解釈なんですけどねー
ネタバレ全開なので本文は追記部分に。
「あえて難を挙げるとすれば高校生が大人っぽすぎる」と評されることのあるこの作品において、4巻まで至り完結した後で表面化した真の難は「シゲが子どもっぽすぎる」ところにあると言えると思う。それは高校時代の憧れと決別できず当時の教師と不倫関係に陥ってしまうことでもキスひとつで高校生に恋してしまうことでも小柳との抱擁を真島に見られて筋の通らない逆ギレをしてしまうところ(1巻の春太郎との対話で「大人と子ども」に正しい線引きを示したとも言えるシゲが、ここでは真島を正当性なく子ども扱いしてしまう)でもなくて、恋愛する相手の内面に終始目を向けていないというところだ。
シゲはその外見から、自らの女性性に対して根強いコンプレックスを抱いている。だからそういう自分をきちんと女性として認めてくれる(或いはそう思わせてくれる)男に非常に弱い。学生時代に小柳を好きだったのはシゲの憧れを小柳がきちんと受け止め女性として認める言葉を口にしてくれたからこそであり、真島に傾いたのは不倫の愚痴をきちんと聞いてくれキスしてくれたからである。
それまで空気読めないキャラとして活躍していた筈の真島はシゲとの恋愛が始まってからはその行動を一変させており、小柳に「こいつ俺の方がいいんだってよ」と言ったり別れ際にキスしてくれたりと要所要所でシゲのしてほしいことを押さえている。
真島がそれまでの描写からある意味で乖離した行動を取るのは、読者としてある種の層をターゲットとしているからであるように思えてしまう。内面的に恋愛可能な筈の同世代の独身男性から女性として扱って貰えず自らの女性性に自信を喪失しており、それゆえに性的な部分を歪曲して前面に押し出したときに関係を結びやすい不倫ないしは極端に若い男との恋愛に安易に流れてしまうタイプの女性だ。
後に小柳は不倫の露見によりシゲにとっていよいよ結婚も夢ではない存在となるのだが、今や小柳から求められる事はシゲの胸をときめかせはせず、逆に「呆れた男」という嘆息になる(あ、ここ、ルビ振られてないけど「あきれた『ひと』だと思うわけよ!絶対!……ってすみませんそんな妄想はいいとしてだ)。小柳が自発的に離婚して自分の方を選び取ってくれることはとうに諦めたつもりになっていたが、「(結婚)してくれるのか滋!」と小柳が喜んだときシゲはもはや喜ばない。小柳が喜んだのはシゲを愛しているからではなく誰か一人でも自分と一緒に居てくれる人を必要としているからだと、小柳にとってそれは誰でもいいのだとシゲはその反応で知ってしまったのだ。そのあまりの脆さ、余裕のなさ、人生に対する無責任さは、それまでの巻で描写されてきた、口先だけではなくそれなりにしっかりと大人であったはずの小柳の姿とは大幅にずれがある。
この小柳の変貌も真島の変貌もシゲに関わった箇所でのみ起きているために、どうしてもこの4巻は「シゲの願望漫画」に見えてしまう。若い恋人からはふんだんに愛情表現を示され嫉妬され(もっとも、真島の嫉妬が純粋にシゲへの愛情からなるものではなかったことは別のシーンで描かれるのだが)、不倫相手は自分に依存し自分はそれを軽蔑する側に回るという位置にシゲは最終的に登りつめる。優越感ゲームで言えばこれがまさしく勝者である。それによってシゲが必ずしも満たされなかったことは伺えるが、一方で強い内省も行われていないため、互いの人間関係、創作、あるいは生きることそのものと真摯に向かい合う高校生たちのエピソードとは悪い意味で一線を画しているように思える。『愛すべき娘たち』を描いたよしながふみが、優越感ゲームに空しい勝利をおさめたその一歩先、真島との別れを決意したはいいがそれに際して自分をきちんと見つめるシゲの姿をもっと深く描けなかったはずはないのだが、と思うと、むしろこの物語は大人になりきれていない4巻でのシゲを描くために存在したんじゃなかろうかというところまで考えてしまうのであった。
モーニング移籍以降の分(10巻〜14巻)を久々に読んだ。
諸事情で不安定な状態で読み始め、最初は冴とカイの恋愛パートだったため多少そちらに感情移入して落ち着かぬ思いをしたものの、誉子がカイに会うためコンクールに出まくっていたくだりで腰が据わった。
求道する様は美しい。しかしそこに特定の人間に会いたいだとか認められたいだとかいう目的を絡めてしまったとき、音楽は必ずしも救いではなく呪いに変わる。けれどもその呪いによって再び救いに引き戻されもする。どちらが正しいとか過ちだとかではなく、密接に絡み合い引き剥がせない救いと呪いとが彼らの歩みを進めて行く。
そしてこの狂騒を私自身はおそらく半分だけ知っている。半分だからこそ知らぬ闇もあれば知らぬ快楽もあることが、この作中で描かれたショパンコンクールの様子によって際立つ。それが良かったのか悪かったのかは分からないが、確実なのはもう今生で残りの半分を味わうことは叶わぬということだけだ。
おそらく芸術とは、禍福の全てを呑み込む混沌の中、溺れながら天に向かって伸ばした手のようなものだろうと思う。
特に最近のマンガでもないが勧められた(?)ことがあったので読んだ。
主人公は、表向きはきりっとした美人女教師でありつつ他人から嫌われることを異常に恐れる元いじめられっ子であり、嫌われないために性的に無軌道な行動や善悪の判断を無視した行動を繰り返すのだが、そこにユーモアがあるかというと非常に微妙である。かといって人間心理のグロテスクな面を描いたにしてはあまりに平面的すぎるとも感じられて、どうにも解釈に困ってもぞもぞする感じだった。
追記部分でもう少し詳細な感想を。
5巻完結の3巻目になるが、ネイティブスピーカーの英語教員として赴任してきたデビッドの通訳・補佐を任された主人公が、通訳においては恣意的に悪意のこもった誤訳を繰り返したり間違った習慣を教えたりなどしてデビッドの孤立をはかり自分の暴力に屈する奴隷として扱うエピソードがあり、この作品の他の局面では特に感じなかった類の非常な不快感を覚えた。情報弱者に対する虐待であるからだろうか、或いはその際にディスコミュニケーションを発生させていることへの苦痛だろうか。
結末では主人公の精神的更正を描いてはいるものの、それが主題ではないと感じられた。『さくらの唄』の最終話を若干髣髴とさせられる。『さくらの唄』においては青春期の精神的鬱屈や性などが細部まで描き込まれているが、数年後を描いた最終話はそれらを昇華も相殺もしないので、最終話はおまけのようなものだな、と分かる。『マイナス』の終盤もそうした印象を受けるのだが、ならば作品全体を通して描かれていたのはなんだったのか、と考えると答えに詰まるのである。歪んだ精神を持った人間の悲哀とそれを捉えるには、共感もカタルシスもいまひとつ足りないと言ったところか。
というわけで。
「では今日一緒に帰りませんか?
これ以上は譲歩できません」
DEMO TRACK(1巻の最初の話)にある
星野のこの台詞でこのマンガに参ったと言ってもいい。
そこまで星野の提案の数々を断り続けた根岸にとってもフットインザドア効果で
「いいよそんくらいなら」と思わせてしまう絶妙の落としどころ。
それを冷静で強気に、根底には好意を持って、出す。
要求の理不尽さとうらはらのためらいの無さ加減で肩透かしを食らわせ、
拒絶という防御体制を取っていた根岸を「なんだよ譲歩って」と弛緩させる。
弛緩は笑いを誘う。笑ったら、読者の負けである。心地よい敗北。
ようこそラブロマの世界へ。
…という計算を作者がどこまで行ったかは知らないが。
しかし星野自身はあくまで素、その言葉には表に現れた以上の意味や期待や阿りはない。
だから一方の根岸もただそれを素直に受け止めて素直に返せばいいだけである。
照れたり戸惑ったり突っ込んだり殴ったりしつつ。
テーマは"自らの想いに正面から向き合い恋人にもそれを正面から伝える"という
現実の恋愛で実行するにはそれなりに困難なものだが、
作品世界の中には悪意や過ぎた我欲が殆ど介在していないので
星野と根岸は狡猾さや臆病さで武装したり傷つけ合ったりする必要がない。
つまりラブロマは、素直で前向きにあることを許された楽園の中で
前述のテーマに没頭する二人を
微笑ましさやベタなギャグで幾重にもコーティングして描いた"安全な物語"なのだ。
(そのため読み手側は油断し切って読むのだが、
そうするとうっかり無防備な箇所を衝かれたりもする。何度泣かされたことか)
また、世評では
"男子側のドリームを具現化している"という記述が散見されるのだけれども、
現実のお年頃の男子というのは往々にして
みかん(=接触型コミュニケーション)のことは考えても
対話による相互理解(=非接触型コミュニケーション)のことは星野ほど真面目に考えないし、
彼女をここまで大事にしてくれること、そしてそれが常であることも
なかなかないだろうという気がする。個人差は無論あれども。
という意味で女子側のドリームもしっかり満たしてくれちゃってる気がするわけで。
勿論それもこの作品の魅力のひとつであることは揺るがないだろう。
とかなんかややこしく書きましたがどう見ても夫婦漫才ラブコメです。本当にありがとうございました。