特に最近のマンガでもないが勧められた(?)ことがあったので読んだ。
主人公は、表向きはきりっとした美人女教師でありつつ他人から嫌われることを異常に恐れる元いじめられっ子であり、嫌われないために性的に無軌道な行動や善悪の判断を無視した行動を繰り返すのだが、そこにユーモアがあるかというと非常に微妙である。かといって人間心理のグロテスクな面を描いたにしてはあまりに平面的すぎるとも感じられて、どうにも解釈に困ってもぞもぞする感じだった。
追記部分でもう少し詳細な感想を。
5巻完結の3巻目になるが、ネイティブスピーカーの英語教員として赴任してきたデビッドの通訳・補佐を任された主人公が、通訳においては恣意的に悪意のこもった誤訳を繰り返したり間違った習慣を教えたりなどしてデビッドの孤立をはかり自分の暴力に屈する奴隷として扱うエピソードがあり、この作品の他の局面では特に感じなかった類の非常な不快感を覚えた。情報弱者に対する虐待であるからだろうか、或いはその際にディスコミュニケーションを発生させていることへの苦痛だろうか。
結末では主人公の精神的更正を描いてはいるものの、それが主題ではないと感じられた。『さくらの唄』の最終話を若干髣髴とさせられる。『さくらの唄』においては青春期の精神的鬱屈や性などが細部まで描き込まれているが、数年後を描いた最終話はそれらを昇華も相殺もしないので、最終話はおまけのようなものだな、と分かる。『マイナス』の終盤もそうした印象を受けるのだが、ならば作品全体を通して描かれていたのはなんだったのか、と考えると答えに詰まるのである。歪んだ精神を持った人間の悲哀とそれを捉えるには、共感もカタルシスもいまひとつ足りないと言ったところか。
投稿者 narukami : 2008年03月11日 11:56 | トラックバック