きづきあきら「ヨイコノミライ!」がオタクの集団を描いててイタいというので
早速1巻〜2巻及びコミックシードでWeb上から閲覧できる分について読んでみました。
以下、感想というかなんというかキャラ評を介して。
「感想と批評の区別もつかない自称批評家」−天原
天原を定義づける上でこのコピーは決して適切ではない。
彼は自分を周囲の人間よりも高次の存在であると思い込んでおり、
そのことで自意識を保つタイプの人間である。
彼の口にする"批評"は周囲の人間を批判し、
自分がより上の存在であることを確認するための手段だ。
故に他人のアラを突くことさえできれば
それが感想であろうが批評であろうが天原にとってさしたる問題ではない。
区別がつかないのではなく、天原的文脈の中でその二つは区別される必要がないものなのだ。
天原が青木に自分の好きなDVDを貸すのは、
青木が自分の同好の士・理解者たれると思ってのことではない。
天原が求めているのは同好の士ではなく、"頭脳明晰でセンスの良い自分"を褒め称える信者だ。
自分がそう在りたいと望む"凡人より高次の存在"として認めてくれる他者だ。
相手との会話を行わず自分の言いたいことばかり話すという行為は
天原と平ちゃんに共通する部分だが、
天原にとって話すという行為は自らの権威を確認するための手段であるという点が
平ちゃんのそれと明確に異なっている。
「現実が直視できないオカルト少女」−平松かの子
L氏がヨイコノミライの登場人物達のことを
『「このキャラ以外に私は他人と会話する方法を知らない」っていうタイプのキャラ作り』
と表現していたが、それが最も顕著に表れるのが平ちゃんにおける"霊感"であると思う。
平ちゃんには明らかに霊感は無い。
彼女が口にするそれは"人とちょっと違う自分"として存在を認めてもらいたいが為の嘘だ。
平ちゃんが井之上(部長)と居る時に自分の関心のあることばかり話すのは、
「仲間だと思い込んだ相手には勝手に期待」し、
「自分の全てを受け入れてくれるんじゃないか」と思い込んでいるゆえである。
(上2行の括弧内は青木発言によるもの)
同時に平ちゃんの中には
"自分がこれほど好意を寄せているのだから
あの人も私に好意を寄せてくれているだろう(そうなってくれるはずだ)"
という思い込みが存在していると言える。
井之上に対しては"きっとこういうのが好き"という思い込みから一人よがりなデートプランを立て、
羅☆ガッシュに対しては"きっと前世からの宿縁ある人"という思い込みから押しかけ厨と化す。
周囲の対応によって平ちゃんの思い込みが補正されることがないのは、
その思い込みが破られるということが平ちゃんにとって耐え難い苦痛であるからに他ならない。
彼女にとってはそれこそが世に処するにあたって唯一纏うことのできる鎧である。
「声優気取りで甘えた声…自己愛の強烈なナルシスト」−大門夕子
夕子から自己愛を適切な量除去すると近藤ゆか(『敷居の住人』の)になる。
と思った。
望んだように他者から受け入れられないと知ったとき、夕子は愛され方を考えるのではなく
自らのありように合わせて都合良く妄想の世界を構築することを選んだ。
漫研という小さな社会の中で夕子は自分の居場所を守ろうと汲々とし、
それを侵害するかのように見える青木を敵視する。
表向き友人として扱っている詩織は、夕子にとって半ば道具に過ぎない。
都合良く振舞ってくれないときにはあっさりとこき下ろし、
しかし居ないと困るので媚を売り繋ぎ止める。
それだけだと本当に嫌な女なのだが、
"詩織が自分には本心を見せていない"という現実に対しては不思議と正確に把握している。
そして依存的にでも皮肉としてでもなく、笑みを浮かべてそれを指摘する。
そこが意外な冷静さを感じさせ、憎めない。
「文芸部からはみだしたボーイズ作家」−桂坂詩織
詩織は悟りきったような態度で漢語を多用して喋る上に僕女でリストカッターですが、
わがまま夕子に対しても寛大さと誠意を持って接しているさま、
また青木を守ろうとする真っ当な正義感を見るにつけかなりできたヒトな気がします。
リストカッターと言ってもそれをひけらかすタイプではなくどっちかというと
クールを装いながらも自罰的な性格の描写と
青木につけいられる隙としてのわかりやすい属性をつけてみたって感じ。
衣笠瞬とは結構うまくやれそうに思うんだけどなぁ。
というか個人的にその組み合わせでうまくいってほしい(何
「口ばっかりプロの半可通」−有栖川萌絵
デブでゴス好き(デブなので自分で服を作る)の萌絵ちゃん。
確かに漫画に関しては口ばかり達者なところもありますが、実際には絵も上手だし
平ちゃん等身近な人には素直に不安をあらわす可愛らしさや
批評を受け入れる謙虚さも持っています。
彼女はその体型ゆえに男性から愛されない存在として自分を規定しており、
それゆえその攻撃性はもっぱら男性に対して発揮されます。
おそらく萌絵ちゃんは和馬によって女友達を敵に回すように仕向けさせられた挙句、
和馬に手酷く裏切られることで男をもこれまで以上に憎まざるをえない状態に
追い込まれる筈だと思うのですがそれは多分ちょっと見てて辛いことになるだろうなぁと思います。
ちなみに私が自分に一番近い存在だと思ったのが萌絵ちゃん。いや服とか作れませんが。
部長−井之上
公園のベンチで寝入ってしまった青木を眺めての台詞。
「人と目が合うといつもニコニコして自分では気づかれてないと思ってるみたいだけど
青木さんは時々とても厳しい顔をしてる時がある」
ほんとに巨乳(とか凹んでるときに自分の価値を認める言葉を絡めて
笑顔で励ましてくれる可愛い子という存在)じゃなくてそうした青木の闇を見てとって
惹かれたというのであればなかなか見所のある奴だと思いました。
でも両方なんだろうなぁ。
青木
巨乳じゃなきゃ好きなキャラなんだけどなぁ・・・。
人により各人を守るための鎧、或いは他者とかかわるために取る手法はそれぞれに違う。
オタクというのが他者からの認証を求めつつも自分が傷つくのばかり敏感であるがゆえ
同時に他者との関わりを激しく拒絶し制限するという特異な手法を選ぶ人々だという事実を
この漫画は描きだしているといえよう。とか言ってみる。
これもL氏の言う「オタクがコミュニケーションを試みる10の方法」
という表現は素晴らしくマッチしていると思った。
余談ながら私、右手中指が第一関節から薬指側に曲がってます・・・。
絵描きさんだと思われちゃうのかしら!あらやだ!!