00:01:25 n*******: いまな
00:01:32 n*******: やきうのまんがよんでんねん
00:01:51 e***: アストロ糾弾か
00:01:55 J**_***: ほう
00:02:05 n*******: もっと現代のものです
00:02:18 e***: 『おれとカネやん』だったか。すまん。
00:02:22 J**_***: キャプテンかドカベンだろうなあ
00:02:33 n*******: せめてプレイボールにしてください
00:03:02 J**_***: あだち充か
00:03:02 e***: 「花形」かもよ
00:03:23 n*******: 南を甲子園に連れてって
00:03:27 J**_***: 巨人の星か
00:04:03 e***: まあ「おおきく〜」であろう
00:04:21 n*******: うむ
00:04:28 m**: 逆境ナインの名が出ていないことに絶望した!
お前ら『すすめ!パイレーツ』忘れてるなんてひどいですよ!
千葉パイレーツは永遠に不滅です!!
そんなわけで
ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』(1)〜(7)を読んだ。
ひぐちアサは微妙に読まず嫌いしてたんだけど
やられた、と思った。
高校野球の物語であるこの作品、序盤で話の中心となるのは
投球を愛し努力もし個性も長所も持っているにも関わらず
中学時代の体験から萎縮しきって自己否定の塊になっているピッチャーの三橋君。
気の弱さから来る従順さと正確な制球力という三橋君のパーツのみを
自分の理想を具現する道具として当初扱おうとしていたキャッチャーの阿部君。
そのいずれもが
かつて音楽と関わっていた時期の自分に重なるところがあり
いきなり感情移入度が半端なく高かったのだが。
一人の意識が変わり、それに呼応するように相手が変わっていく、
その相互作用が繰り返され関係が変容し広がっていく様が
つぶさに描写されつつ物語が進んでいく。
やられた。
自分はやっぱり成長譚が好きなんだなあと改めて思った。
(ここまで見る限りでは)みんながみんな
野球に対する愛だけは並ならぬものであり
そこに関してはほぼ迷いがないという
いかにも正統派スポーツ漫画らしい前提はあるものの、ね。
完璧な人間なんて誰もいない中、ひとつの目標を目指す上で
周りも自分も良いところをきちんと見て認め
悪いところがあれば直し
異なる個性をそれぞれ適所で活かしていくという
ただそれだけの一見シンプルなことが
口では簡単に言えても現実にはいかに難しいことか。
そのたやすくはなさを認めつつ、しかし決して不可能でもないものとして
この物語では描いているように思える。
ものでも人でも
うまくいかなかったり必要なかったりしたら
切ってしまえばそれでいいやと思っていたら
良いところをきちんと評価しようだとか
悪いところを直そうだとか
どこか本気では思えなくなる。
実際に関係を切らなくたって、気持ちの上で切ってしまっていたらそうなる。
この扱いにくい三橋君を阿部君は切ろうとしなかった。
最初はその怯えきった態度に苛立つこともあったけれど、
それでも三橋君の長所に目を向けた。
もっとも阿部君がそうしたのは
彼の地の性格の良さと、加えて他の理由もあってのことだったのだろうけれど。
そういう二人が出会う辺りはさすがにフィクションならではか。
現実を生きる我々はとりあえず阿部君の出現をあてにせず
自力でエースを目指すしかないわけなんだけどね。
私事ながら少々
能力の欠落に凹んでいるタイミングでこれを読んだものだから、
なにやらアンサーソングみたいな感じで響いたのだ。いやソングじゃないし。
よかった。
ところでこのマンガ随分人気あるらしいですね。アニメ化とか。
なんかそういうの聞くと微妙な悔しさを覚えなくもない(笑
わかってほしいと思う反面で
そーぅ簡単にはわかってたまるかとも思う心理
(シーツにくるまって膝かかえるハチ@プラネテス2巻)
が読まず嫌いを助長するものなんだなあと改めて思ったりした。