2007年11月20日

そろそろフラワーオブライフについて一言言っておくか(11/20)

シゲ周りの展開がシゲに甘いという話
(1巻で「アメリは女の願望映画だ」という台詞が出てくるが、4巻はある意味シゲの願望漫画と化している件について)

# いわゆるテクスト論的な考え方からすればめちゃくちゃな解釈なんですけどねー

ネタバレ全開なので本文は追記部分に。


「あえて難を挙げるとすれば高校生が大人っぽすぎる」と評されることのあるこの作品において、4巻まで至り完結した後で表面化した真の難は「シゲが子どもっぽすぎる」ところにあると言えると思う。それは高校時代の憧れと決別できず当時の教師と不倫関係に陥ってしまうことでもキスひとつで高校生に恋してしまうことでも小柳との抱擁を真島に見られて筋の通らない逆ギレをしてしまうところ(1巻の春太郎との対話で「大人と子ども」に正しい線引きを示したとも言えるシゲが、ここでは真島を正当性なく子ども扱いしてしまう)でもなくて、恋愛する相手の内面に終始目を向けていないというところだ。

シゲはその外見から、自らの女性性に対して根強いコンプレックスを抱いている。だからそういう自分をきちんと女性として認めてくれる(或いはそう思わせてくれる)男に非常に弱い。学生時代に小柳を好きだったのはシゲの憧れを小柳がきちんと受け止め女性として認める言葉を口にしてくれたからこそであり、真島に傾いたのは不倫の愚痴をきちんと聞いてくれキスしてくれたからである。

それまで空気読めないキャラとして活躍していた筈の真島はシゲとの恋愛が始まってからはその行動を一変させており、小柳に「こいつ俺の方がいいんだってよ」と言ったり別れ際にキスしてくれたりと要所要所でシゲのしてほしいことを押さえている。
真島がそれまでの描写からある意味で乖離した行動を取るのは、読者としてある種の層をターゲットとしているからであるように思えてしまう。内面的に恋愛可能な筈の同世代の独身男性から女性として扱って貰えず自らの女性性に自信を喪失しており、それゆえに性的な部分を歪曲して前面に押し出したときに関係を結びやすい不倫ないしは極端に若い男との恋愛に安易に流れてしまうタイプの女性だ。

後に小柳は不倫の露見によりシゲにとっていよいよ結婚も夢ではない存在となるのだが、今や小柳から求められる事はシゲの胸をときめかせはせず、逆に「呆れた男」という嘆息になる(あ、ここ、ルビ振られてないけど「あきれた『ひと』だと思うわけよ!絶対!……ってすみませんそんな妄想はいいとしてだ)。小柳が自発的に離婚して自分の方を選び取ってくれることはとうに諦めたつもりになっていたが、「(結婚)してくれるのか滋!」と小柳が喜んだときシゲはもはや喜ばない。小柳が喜んだのはシゲを愛しているからではなく誰か一人でも自分と一緒に居てくれる人を必要としているからだと、小柳にとってそれは誰でもいいのだとシゲはその反応で知ってしまったのだ。そのあまりの脆さ、余裕のなさ、人生に対する無責任さは、それまでの巻で描写されてきた、口先だけではなくそれなりにしっかりと大人であったはずの小柳の姿とは大幅にずれがある。

この小柳の変貌も真島の変貌もシゲに関わった箇所でのみ起きているために、どうしてもこの4巻は「シゲの願望漫画」に見えてしまう。若い恋人からはふんだんに愛情表現を示され嫉妬され(もっとも、真島の嫉妬が純粋にシゲへの愛情からなるものではなかったことは別のシーンで描かれるのだが)、不倫相手は自分に依存し自分はそれを軽蔑する側に回るという位置にシゲは最終的に登りつめる。優越感ゲームで言えばこれがまさしく勝者である。それによってシゲが必ずしも満たされなかったことは伺えるが、一方で強い内省も行われていないため、互いの人間関係、創作、あるいは生きることそのものと真摯に向かい合う高校生たちのエピソードとは悪い意味で一線を画しているように思える。『愛すべき娘たち』を描いたよしながふみが、優越感ゲームに空しい勝利をおさめたその一歩先、真島との別れを決意したはいいがそれに際して自分をきちんと見つめるシゲの姿をもっと深く描けなかったはずはないのだが、と思うと、むしろこの物語は大人になりきれていない4巻でのシゲを描くために存在したんじゃなかろうかというところまで考えてしまうのであった。

投稿者 narukami : 2007年11月20日 23:54 | トラックバック
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