▼エントリの一覧

2005年10月29日

すごいダイズ

大橋禅太郎という人の『すごい会議』『すごいやりかた
って本があるらしいのだが
(勿論手に取ったこともないんだけど多分タイトル的にビジネス書だよね!)
「怒りや悲しみの90%は合意されていない期待によって引き起こされる」
「怒りや悲しみの原因の95%は合意されていないアクションである」
ということが書いてあるらしい。

なんてのをみくしだのぶろぎだので見かけて。

合意されていない期待が生む感情は確かに悲しみだと思うが
怒りは更に一歩押し進めて
合意されていない期待を正当化する際に用いられる感情なのじゃないかと思ったよ。
"怒りは感情の蓋"論から考えてなわけだが。

ていうかそもそも言い換える意味なし?

---

ところで「主観的事実」って言葉を書き言葉で使ったら
ぴんとこないといった感じのことを言われた。
んでもっと分かりやすい言葉で語れ的なことをオブラート20枚くらいで包んで言われた。
20枚用意するのはちょっと並大抵のことじゃないので素直にそれに応えるべく精進しようと思った。

その人は視覚で事象を捉えるタイプの人だから尚更字面がややこいのはアレなんだろうな。
ていうかそもそも一般的な日常語ですらないのかこれって。

投稿者 narukami : 03:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月18日

金持ち父さん貧乏父さん

金持ち父さん貧乏父さんを今更読んだ。

これって2000年初版だったんですね。

「いつまでも人に使われてたってしょうがないよ」と去年私に言った
今は社長をやってる大学時代の先輩は
多分とうにこれを読むか、読まずとも一人で近い結論に辿り着いたか
していたに違いないと思った。

会社に使われ続けていたってお金は増えなくて
じゃあ起業すればいいかというとそう単純でもなくて
要はお金のことをちゃんと知らなければならないという話が書いてあるわけだが

まだ自分が何の職に就いていかに生きるべきかが
決まっていないお若い皆さん 未読だったらどうか読んでみてください
君らはまだ間に合うかもしれない

いや別にいくつだって間に合わなくなんかないぜって思ってるけどね

---

転職支援会社の適性診断やってみた

エゴグラムでNPの値が高いのは自分的に珍しいから貼っちゃう( ´∀`)

+人懐っこいタイプ
アナタは、誰にも人懐っこく接し、温かく親しみやすい人です。義理人情に厚く、人を育てるのも上手なため、多くの人が慕ってきます。人の長所を良く見つけるため、結婚、恋愛、子育て、仕事での部下や同僚との付き合いがうまいです。相手を許し、他人のしたことに対して、自分も一緒に責任を取ろうとするタイプです。

また、純粋で温かみや面白みがあり、情が深く人間味がある人です。他人の意見や都合を大切にして、相手の要求にも応えようとします。自由な面と従順な面の両方を持っています。理屈っぽくなく、打算的ではありません。また問題を直感的に処理するので、感があたったときは、不思議な力を出すタイプです。

−判断力が弱いタイプ
アナタの短所として、冷静な判断力や分析力が不十分なため、プレッシャーがあると混乱する一面が見られます。いざ正確さや厳密さを求められる場面で、力を出せず、問題の解決能力がありません。計画性があまりないため、どっちつかずになる傾向があります。衝動的、感情的な行動もあり、人の好き嫌いが激しく、上手い世渡りができない傾向があるので、注意しましょう。

また、情に流されるため、冷静で純粋客観的な考え方を持たない一面が見られます。下の人を甘やかし、相手の自主性を重んじない傾向があるため、相手の能力をしっかり見る教育が苦手です。責任感や判断力をあまり持ち合わせないため、日常的な努力を怠る傾向があるため、注意しましょう。

長所はピンとこないけど短所が的確すぎggぎぎっgg

投稿者 narukami : 19:20

2005年12月21日

Itと呼ばれた子(12/21)

今更読みましたシリーズ第n弾。

デイヴ・ペルザー『Itと呼ばれた子(幼年期)』を読んだ。

予備知識なしに読んだから
ネグレクトや無関心の果てに
実の母親から「It」扱いされた話なのだとばかり
思っていたわけですよ。

しかし蓋を開けてみたらば、その予想は外れていた。
そこにあったのは
もっとその。なんというか。

実の母親による「積極的な虐待」であった。

更に驚いたことには
慈愛に満ちた幸せな家族の時代もまた
その虐待以前には存在していたということでもあり
何人も居た兄弟の中から
彼一人だけがスケープゴートとして選ばれたということでもあり

死んでしまわないことが不思議なほどの虐待の数々がそこにはあり
しかし現実にそれに晒されているわけではない私の目には
一体この母をしてその虐待に駆り立てたものは
何であるかの見えなさ加減がその行為自体よりも恐ろしく映った。


極めて性善説的な考えかもしれないが
精神的に正常な状態にある人間は
無抵抗な人間(ないしは動物)を理由なく攻撃はしないものだと
私は思っている。

精神的に追い詰められたために
"理由"が一般の基準を外れたようなケースもまたあるだろう。

この幼年期編には
母親が彼にだけ虐待を行なった"理由"は描かれていない。
彼の自伝的作品は三部作なのでそちらで語られているそうなのだが
少なくともこの作中にそれは出てこないので
なんともやり場の無い思いがする。


平行してドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』も読んでいたのだが
こちらも実の母から幾分程度は軽いが虐待を受けている。

しかしそれは分からなくはないのだ。

自閉症という症例に対する知識が全く無く
そうしたものがあると思いもよらなかったなら。

言うことを聞かず奇矯な振る舞いに及ぶ我が子に対して
しつけに名を借りた体罰の度が過ぎたり
やがて自分の子ではなく何かの間違いと思い込みたくなったり
してしまうのは。
良し悪しは別としてそうする"理由"はよくわかる気がするのだ。


しかしそうした明確な"理由"は
この『Itと呼ばれた子』の母の中には
幼年期の時点では見出せず。

身だしなみも構わなくなりだらしなく太り
世の中の全てに敵意を抱くかのようになっていく母に
何かが起きていることだけがただ伺えるけれども。


自分に近いけれどもその事実を否定したいものに対して
人は憎しみを向ける。

例えば私は同人やってる人やコミケ行く人や
あとカルトジプシーは嫌いなのだが
無関心ではなく嫌いというベクトルを感情が持つのは
どこかで近い存在なのを内心分かっているからである。

…ということに気づいてからは積極的に叩こうとは思わなくなったけどね。
まあそれは別の話だ

彼がその母にとって
否定したい存在とされてしまったのかどうかは分からない。

とりあえずそこをクリアにするため
あと二作も読んでおきたいと思う。


しかしなんかなー
虐待モノに「関心が高い」つーと聞こえはいいけどさ
そういうテーマをわざわざ選んで読みたがる自分というのが
ある意味心配です
カレカノ虐待編とかも自分的に大盛り上がりだったからなあ

投稿者 narukami : 15:01 | コメント (2) | トラックバック

2006年06月05日

黒と茶の幻想

恩田陸『黒と茶の幻想』読了。
…したのはもうちょっと前だったのですが、感想を推敲している時期に先に医龍に手をつけてしまい(ry

初読の作家であり、それもハードカバーで分厚いこの本に
人から勧められた時点では少々怖気づいていたのであったが。
いざ開いてみるとすっきりとした文体で話が進み、
また会話を介した細やかな心理描写が随分魅力的であったので一気に読み通すことができた。


三十代後半の男女4人で屋久島(作中ではY島とぼかされている)へ旅行する物語である。
学生時代にかつて友人同士であり、今はそれなりの年齢に達した各人は
それぞれに家庭を築いている。
ただし、うち一人の男はまもなく離婚するところであり、
若き日に彼と付き合い、いささか苦い別れ方を経験した一人の女は
それを知って心中穏やかならぬ部分が少なからずある。

各人が考えてくるようにとお題として出されていた『美しい謎』。
過去に心にひっかかった解けない謎を持ち寄って語り合い、
それを解明せんと試みる思考実験を道行きのスパイスにするつもりでいたのだ。
それがやがてかつてのカップルの別れの真実へと迫っていく様が4人それぞれの視点から語られていく。

「ある人と結婚するかどうか決めるのに、一つだけ」
質問しておきたいことを何でも訊けるとしたら何を訊くか?
というそんな話題に、
蒔生のかつての彼女である利枝子は
『何か起きたら、それがいいことでも悪いことでもすぐに全部私に打ち明けてくれますか』と答える。
これを言う利枝子自身は自分の考えをなんでもさらしてしまうタイプとはむしろ逆なのだが、
他の誰かが彼女を信頼し、何かを打ち明けてスッキリすることで
彼女自身もカタルシスを得られると考えている。

そこへきて蒔生の答えはこうである。
「『何が起きても、私のことを理解しようとしないでくれますか』だ」
「この質問に『はい』と答えるような女とは結婚したくないんだ。
でも、『いいえ』と答える奴とは絶対一緒に暮らせないだろうし」

表面的には極めて近しい感受性を持っていた蒔生を、
今もなお自分にとって一番の男だと思っている利枝子。
一方それとは裏腹に、深奥で利枝子とは全く趣を異とする女達との類似を、
そして癒され得ぬ孤独を感じ続けてきた蒔生。
直接に間接に彼らの人となりは描写される。
Y島の雄々しい自然、過去の出来事、美しい謎の間を行き来しながら。

と、そんな一冊。
前述のような会話を普段から嗜むような人には割とよろしいのではないかと思います。
関係が気まずくなった時に、男は口を開くことが苦痛になるが、女は沈黙が苦痛になるらしい。
とか苦笑混じりにニヤニヤしてしまいそうな文がそこかしこに見られたりもするし。

…しかしなんでタイトルは"黒と茶"なんでしょ?
『美しい謎』の中あらわれる紫の着物、紫の割烹着、紫陽花等など
この小説のいたるところに"紫"が満ちている。
人名すらも更に絡んでくるこの色にまるで触れることなく
黒と茶とをタイトルに冠した意図がいささか読めなくもある。
他の作品と関連する登場人物も居るらしいので他のを読んだら分かるんですかね?もしかして。

投稿者 narukami : 21:39 | コメント (2) | トラックバック

2006年07月25日

松浦理英子論-備忘録を兼ね-(7/24)

卒論は中島敦の「わが西遊記」に関する作品論だったのだが、
本来ならば卒論題材に採り上げたかったほど"熱を上げていた"作家がいる。

それが松浦理英子である。

何故卒論題材にできなかったかというとお上の(違)事情というやつでして。それはさておき。

自分にとっての松浦理英子作品はSM小説でもビアン小説でもなく、
「傷つけるという形式」ないしは「傷つけられるという形式」を介してしか
他者と密接な関わりを持つことができない、密接な距離感を保持することに耐えられない
コミュニケーション不全者たちの恋物語である。

「傷つける」「傷つけられる」という手法に拠らずコミュニケートする人々は「良民」に分類され、
手の届かぬ憧れとしてしばしば描かれる。
『乾く夏』の彩子は自分で相手を傷つけることへの恐怖から最愛の「良民」悠志を手放すし、
『ナチュラル・ウーマン』で容子にとって由梨子は"眩しいほど恋しい人"であるからこそ
「濡れタオルでぶって」なんてヨゴレた頼みはとても口にできない。
悠志ないしは由梨子と(恋愛)関係を結びたいのであれば、
「傷つける」「傷つけられる」という手法から脱却し対等な個人とならなくてはならない。

「傷つける」人々は一見醒めているように見えていても他者から理解されたいと願っている。
『乾く夏』の彩子が言う「一緒に死んで」という台詞は、
死と破壊への衝動(=デストルドー)を含めて全存在的に私を理解し肯定してくれという叫びである。
そして彩子はそれを受け入れてもらえないことに絶望しながらも、
決してデストルドーに支配されずまた暴力を介することなく彩子に接することのできる
「良民」であるところの悠志を求め憧れ続け、
またその一方でそんな悠志を自分が傷つけ損なうことに怯え自ら別れを告げるのである。

"松浦理英子の描くサディスト"が他人に加える暴力的な行為或いは言葉は、
相手を傷つけることを目的としてあるのではなく、
あくまでその相手との結びつきを求めるが故に発せられるのだ。

一方で、「傷つけられる」という手法を取る人々は、
傷つけられるという形で他者との関わりを求めつつも、他者には何も期待していない。
彼らの自意識は希薄であり、主従的な関係が生まれることによってのみアイデンティファイされる。

「傷つける」「傷つけられる」という行為は一見しては一対となっているため、
この二者の間では関係が成立するのではあるが、精神的にはかように乖離がある。
そしてこの乖離を埋める手立てが分からず、それでも関わり続けようとするあまりに
対となる(対になれる)行為をただ重ねることとなり、暴力は次第にエスカレートしてゆく。
その挙句に「二人でやれることで残っているのは別れることだけ」になってしまうのが、
作中の恋人達である。

こうした姿を女性の同性愛という形式をとって描くことで、
いわゆる情交に一般社会が付与している意味を全て剥ぎ取り、
二個の人間の関係においてその行為が持つ意味を過不足なく映し出しているのが
松浦理英子作品であるのだ。

参考:書評Wiki

投稿者 narukami : 01:57 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月17日

ねじまき鳥(1)

『ねじまき鳥クロニクル』読み中。というか通して1回読了。

実は初読じゃないのだけどこれまでは印象にあまり残っていなくて。
今回読み返してみて、それは何故かということに少し思い当たった。

この小説は多くの稿が戦時下情景の描写に割かれているのだが、
その戦争というものがそもそもよくわからない、というのがおそらく大きい。
何か自分の望まないことが起きてしかし生きるためにそれの前に膝を折ることを余儀なくされ、
個人に与えられている力はその状況を覆すには弱い、ということ自体は別に日常的に起こり得るなぁ、
と思うし、
でもそれが常に生命の危機と隣り合わせの状況に置かれつつのこととなると
やっぱりうまく想像できない。

そこにひっかかって、というわけでもないが
戦争系エピソードでことに描写が残虐な部分はつい斜め読みをしがちになるのもあり
すっと頭に入ってこないものがある。
ほら外科系グロに弱いから。
拷問されてる方に感情移入して自分がされてる感覚になっちゃうから読み飛ばさざるを得ない。

でも作品論やるにはものすごく向いてる気がしました。
戦争云々じゃなくて物語構造とか埋め込まれた装置とかの話として。

投稿者 narukami : 13:34 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月14日

町田康『パンク侍、斬られて候』

そういや町田康『パンク侍、斬られて候』のまともな感想をまだどこにも書いてなかったので書いておく。
とにかくめちゃくちゃ面白いのだが借りて読んで感想を書く前に次の人が待ってるからってことで返してしまったのだ。
あれも現代語が普通に出てくる随分なネオ時代劇な上に登場人物が説教系だったりするんだけどそういうのがもろに大好きなので全く気にしていない。パンク侍(名前忘れた)の序盤の長広舌でまずかなりやられる。そしてパンク侍と内藤(これも正確な名前忘れた。内藤帯刀?だったっけ?)の説教くさいというか理詰めというかの二人が口先三寸対決(違う)して、内藤が「自分の立場わかってる?お前が俺をその気にさせないといかんのだよ?」みたいなことを言う辺りとかがマジで最高。あと、オチも。

というわけで自分のを買うまでまともな感想書きそうにないので暫定で出しておきます。しかしこれじゃ全然わからないってな。

某所(何)の影響で文体がくだけてます。砕け散ってます。ダイヤモンドダスト。

投稿者 narukami : 15:53 | コメント (0) | トラックバック

町田康『パンク侍、斬られて候』

そういや町田康『パンク侍、斬られて候』のまともな感想をまだどこにも書いてなかったので書いておく。
とにかくめちゃくちゃ面白いのだが借りて読んで感想を書く前に次の人が待ってるからってことで返してしまったのだ。
あれも現代語が普通に出てくる随分なネオ時代劇な上に登場人物が説教系だったりするんだけどそういうのがもろに大好きなので全く気にしていない。パンク侍(名前忘れた)の序盤の長広舌でまずかなりやられる。そしてパンク侍と内藤(これも正確な名前忘れた。内藤帯刀?だったっけ?)の説教くさいというか理詰めというかの二人が口先三寸対決(違う)して、内藤が「自分の立場わかってる?お前が俺をその気にさせないといかんのだよ?」みたいなことを言う辺りとかがマジで最高。あと、オチも。

というわけで自分のを買うまでまともな感想書きそうにないので暫定で出しておきます。しかしこれじゃ全然わからないってな。

某所(何)の影響で文体がくだけてます。砕け散ってます。ダイヤモンドダスト。

投稿者 narukami : 15:53 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月25日

『ナチュラル・ウーマン』

精神的経験を重ねるほどに何度でも新しい発見のできる小説というものがある。

松浦理英子『ナチュラル・ウーマン』をこのたび再読したところ
以前とは違った感想を抱いたので
去年にも少し書いたばかり(ばかり?)なのだが
今回も書き留めておきたいと思う。


前回は、花世と容子(に代表される二人)のうまくいかぬ恋について
二人ともに感情のまま動いていて拙いと感じるばかりであったのだが
今改めて読み返してみると、その拙さこそが非常に眩しく感じられた。

人や関係を大切にするというのは
行動を感情に任せきりにしないという分別を身につけることであり、
それは恋愛においては手綱から手を離し恋情に翻弄されるという愉しみを諦めることでもある。

勿論、分別を覚えたからと言ってなにもかもうまくいくわけではない。
我欲だってあるし負の感情だってある。
そういうものをなんとか飼い馴らしながら分別が目指すものは
あまりに地味でささやかな日常の幸せだ。

この二人の物語は若さゆえにそれを選べなかったという話なのだと思うのだが、
責任を取れるものなら選択肢としてはどちらを選ぶことも可能なこと、
そしてその上で分別を選ぶようになったことを自覚させられた。
どちらも選べるとはいえ、殆どの場合はもう戻れないのだ。

---

相手の気持ちという結局は確かめ様がないものを
確かめたいという感情を止められないほど相手を好きになってしまった
花世さんがもー可愛くってねえ。

若い頃はこれを読んで頭でそれを理解しても描写から実感することはなかったなぁ
と思うと感慨深いです。
と同時になんと幅を持たせて書かれた小説なのだ、と感動を新たにしました。
共感できる奴だけ共感できればいいと言わんがばかりの
(しかし文体は読み手を突き放すことなくあくまで平易、けれども極めて繊細な)行動描写と、
誰にでも分かるようにという心理説明との両輪。
私が最も美しい文章を書くと思う作家の一人です。

そしてドライヤーを何に使うのかはいまだに分かりません。

投稿者 narukami : 13:08 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月06日

そろそろ小畑カバー絵の『人間失格』について一言言っておくか(8/6)

 めくってみて思わず声が漏れた。この版の解説者である文芸評論家・小林広一氏の授業を学生時代に受けたことがあったのである。

 その授業はたしか「近代文学研究」で、小林氏はやはりそこでも太宰作品を扱っていた。各学生は、年度始めにテキストとして購入した太宰の作品集から一作品を選んだ上で、必ず一回以上の簡単な研究発表を行わなくてはならなかった。3年次にあがるまでひどく不真面目な学生であった私は(この授業はおそらく2年次に受けていたと思う)、短いからという理由だけで「リイズ」を研究発表の題材に選んだ。そんな背景つきだが、この作品は本当に好きだ。

「リイズ」は短編であり青空文庫でも読めるので良ければ一読してほしいと思う。
「リイズ」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/292_20035.html

 そんなわけで不真面目な学生であったので(再)、小林氏の授業そのものがいかなるものであったかは残念ながらあまり覚えていない。学友の一人が盛んに評価し、小林氏の指導を受けられるゼミがあれば入りたいとまで言っていた(小林氏は講師だったこともあってか、実際はそういうゼミはなかった)のだが、件の彼女は実際にゼミの決まる3年次に進級する時点で早稲田二文に編入し、今ではどうしているか知らない。

あとこれも好き。やっぱり超短編。
「満願」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1564_14134.html



投稿者 narukami : 17:01 | コメント (1) | トラックバック