2006年04月29日

キャラメルボックス『ミス・ダンデライオン/あした あなた あいたい』(4/28)

--若干ネタバレ含みなので楽日の今日にこのエントリを公開致します--

4/28にキャラメルボックスの舞台
『ミス・ダンデライオン/あした あなた あいたい』を観てきた。

ハーフタイム・シアターと称し
普段は2時間で1本上演するところを1時間1本の長さとなっている。それを、2本。

この物語世界には、クロノス・ジョウンターという名の機械がある。
人や物質を短時間だけ過去へと送ることができ、但しその代償のように
元の時代へ戻すのでなく一定時間の経過後は未来へと
その対象をはじき飛ばしてしまうタイムマシンだ。

昨年晩秋に上演され観に行った『クロノス』同様に
今回の2本の舞台も、梶尾真治のSF小説『クロノス・ジョウンターの伝説』を下敷きとした
タイムトラベル・ロマンスの物語である。

上演が終わって久しく、もうそろそろよかろうということで
この『クロノス』についてまず紹介しておきたいと思う。

『クロノス』の主人公吹原和彦は、
交通事故で死んでしまうかつての片恋の相手を
事故現場となる勤務先の花屋から遠ざけるために
何度も何度もクロノスに乗って彼女に危機を伝えに行く。

その度に和彦はクロノスの反作用によって未来へ飛ばされてしまい、
その都度"その時代でのクロノス"の所在を探しあて、やはり過去へと向かうのである。
飛ばされた際の衝撃で身体をぼろぼろに痛めながらも。

そして時間移動のたびにクロノスの反作用は漸近線的にその強さを増していき
次第に和彦の飛ばされる未来は先へ先へと延ばされていく。
次に乗れば人類が生息するか否かすら分からないほどの先の時代だと、
最後にはそう計算にはあらわれるのだが。それでもやはり和彦はクロノスに乗る。
愛した人を救うために。自分とは共有できないと分かっている、その未来をそれでも守りたくて。

さて、そこで今回の2本。

『ミス・ダンデライオン』では
女医の樹里はある難病の治療法を探している。
彼女がまだ幼い頃、小児結核で入院していたとき、
面白い話をいくつもして慰めてくれた入院患者の青年がいた。
だが彼は語りかけの物語を残したまま、難病でこの世を去ってしまうのだ。

語りかけの物語はロバート・F・ヤングの古いSF小説、『たんぽぽ娘』。
主人公のマークは妻も子も居る中年だが、
たんぽぽのような髪の色をした、タイムマシンに乗って未来から来た娘と出会い、恋に落ちる。
娘の名は、ジュリー。それは樹里と同じ名前。

19年の後、かつて樹里の初恋の人を奪い去ったその病気の特効薬が発見される。
あの頃この薬があったなら…!
そして彼女の耳に入る「クロノス・ジョウンター」の存在。

ちなみに『たんぽぽ娘』は現在絶版で入手は不可能、熱烈に復刊を望まれているいわくつきの本。
(但し原文が公開されてますので英語いける方はどうぞ。こちら)
実は『ミス・ダンデライオン』はいろいろな意味でこの『たんぽぽ娘』のオマージュとなっているのだ。

一方、『あした あなた あいたい』は
職場で白羽の矢を立てられたことを機に
憧れの建築家が作った最後の建物・朝日楼旅館を求め、過去へ行った輝良と
彼がゴミ捨て場に倒れているのを助け起こした圭の物語である。
圭は輝良との出会いをきっかけに婚約者を捨てる。
数日経てば輝良は未来へ飛ばされてしまうのだと聞かされていながらも。

死んだ父の思い出残る喫茶店をひとり守ってきた母に
最近の行動を諫められ輝良と関わるなと言われて諍いになり
「お母さんは先に死んでしまうと知っていたらお父さんを好きにならなかった!?」
と圭は叫ぶ。

一目惚れはあまた存在しても一目惚れのために全てを捨てられる人間が多いわけではない。
『クロノス』でかつて吹原によって命を助けられた女性、来美子は
一目惚れに殉じようとする親友のためにクロノス・ジョウンターのもとを訪れる。

私は『クロノス』の
紡がれたアウトラインに救いがなくとも人の心に救いのあるところや
『ミス・ダンデライオン』で
「あなたは一体誰ですか?」と病床の初恋の人に訊かれた樹里が
『たんぽぽ娘』の冒頭の台詞と共に自分の名を呟くシーンや
何十年も私を待ったりしないでどうか生きて幸せになってと言い、
ひとりぼっちの未来へ笑って飛び込んで行く主人公達が好きだ。

それならそれでと助けられる側が違う人生を歩んでしまったりしないわ
内面がどうこうという説明を欠いて一目惚れで大騒ぎするわオチはご都合主義だわ、
しかしそうした荒唐無稽さを感じながらも全体としては引きつけられてやまない。

一緒に行った友人の中に演劇経験者が居たので
今回はいろいろそういう話もできたんですが
キャラメルボックスは劇冒頭に挿入されている演舞とかこまい演出に
やはり他に見られない特徴があるようで、またそこが非常に楽しいですね。

俳優としてではなく黒子として舞台上を歩いていた人々が
不意に登場人物として物語の中へ復帰する演出ですとかも良い。

個人的によくこういう場合
FF6でセリスが女優マリアを演じるエピソードを引くのだが。
オペラ劇場でセリスが女優マリアを「演じる」イベントにおいてセリスの歌う"マリアのテーマ"が、
ゲーム後半においては"セリスのテーマ"として扱われ、
メタフィクションとしてのオペラがやがて彼らの「現実」の中へと浸透していく様が大変に好きで。

フィクションの中にある現実と非現実の境界。
今回一番気に入ったのはそういう部分です。

演劇なら演劇、映画なら映画、小説なら小説、漫画なら漫画、
それぞれにそれでしか成し得ない表現形態があるわけで
それをしっかり生かしている作品は、よい。

投稿者 narukami : 2006年04月29日 03:05 | トラックバック
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