2005年08月02日

傍迷惑な微罪

それを微「罪」と呼んでしまってよいものか分からないけれども。

当人にとってはぎりぎりで嘘ではないけれど
相手にとってはおそらく非常に嬉しい解釈が可能になるような言葉を
それと知りつつあえて選んで印象操作し
けれども実際は言葉に深い意味を持たせてはないからあっという間に忘れ去ってしまう、
そういうことを繰り返す人がいる。

処世術の範疇と言えば言えるんだろう。
狙われた通りに有頂天にさせられ踊らされるのが腹立たしく
そんな風に踊らされたことすら相手の眼中に無いことも悲しいので、
なんとかそこに粗を見出そうとする。

いつか自分の首が絞まるぞ、なんて思っていた。
でもその人を長年見てきて、その所業がもとで困っている様子などついぞ見たことがない。
その人の歪みや弱さゆえにそんな処世術を身に付けたのだと思えたらどんなに楽だろうか。
でもそうした翳りも見える範囲では汲むことができない。

私の知る限り最も賢く最も面白く、楽才に恵まれかつたゆまぬ努力家で、
家族を深く愛し愛され人生を楽しむことを知っているその人が
"神殺し"エントリで私にとって神に擬えられている人である。

彼が女だったらきっと「魔性の」とかなんとかいう枕詞をほしいままにするんだろうなあ。

村上春樹の短編で「今は亡き王女のための」というのがある。
あれに出てくるヒロインは旧家の令嬢で非常な美人で
音楽も美術も突出した才を見せる人なのだが、性格はよろしくない。

しかしそうやって一見して珠であるものにも一点の瑕があれば圧倒的に話はわかりやすくなる。
本当に怖いのは曇りなんて微塵もないと見える場合だ。

おそらく誰もが無意識にやっていることの度がほんの少し過ぎているだけなんだろう。
だが何故私はそれに振り回されて過剰に傷を追うに至ったのか。
彼と私の間に深い溝があるのか、
それとも私が自分もまた犯しているその手の罪に無自覚であるのか。

投稿者 narukami : 2005年08月02日 16:14 | トラックバック
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