知人で、スピリチュアル系のことばかり主に話題にしている人が居る。飲み会で人の手相を見ていたり、霊が見える友人の話をしていたり、といった具合である。なんとなくそれに対してむかついていた。話の真贋を問うつもりはない。「本物ならたやすく口にするはずがない」も「本物だからこそためらわず話せる」もどちらも可能性がある以上、判断材料が少ない状態でどちらと言ってみたところで詮無い。ただ自分の抵抗感だけが明白である。けれども私自身は心理カウンセリングを結構利用する方であり、それは2004年末頃にここの日記でも割と触れていた通りである。公に言及することこそ最近は減ったものの今でもそれは変わらない。それでいて何故自分はスピリチュアル系に抵抗があるのだろう?そうしたもの自体をバカにしてるつもりでもないのに、ということは以前からずっと考えていたのだけど、はてな匿名ダイアリーのこの辺りの日記を読んでいるうちにそれが腑に落ちた。
http://anond.hatelabo.jp/20070126173859
自分が気づかず足を踏み入れてしまうのもごめんだし、周りがそういう人間だらけになっていくのも勘弁なので、「カルトの要素を持った非カルト」が好きなら好きでいいとしてもそればかりに偏向した人間ではないですという所信表明を随時行い、地に足がついていることを自他ともに示していく必要があると漠然と感じていたのかな、と思った。だからスピリチュアル一色に近い話題選びをする人はちょっとお近づきになりたくない箱に分類していたのかなと(その人自体は別にカルトや霊感商法に取り込まれているわけではないと思うんだけど)。好んで行うものが「カルトの要素を持った非カルト」の要素を持っていると思っているだけに、かたくなに一線を越えることを拒む系の近親憎悪だったといえよう。分かってしまえば単なる価値観の相克で、それを否定してても意味が無いのでまあ適当に仲良くしていけばええんちゃうの、という。なんでもバランスが大事ですよねー。(無理やりなまとめ)
投稿者 narukami : 2007年01月26日 18:38 | トラックバック