2007年01月23日

話をまとめるの話

頭の中の文章をどの時点で文字化していくか。ことのはの記事の書き方
http://www.kotono8.com/2007/01/19kakikata.html

これを読んだ時から考えたかったことがある。

私の場合、文章を書く際は最初にただテーマだけがあり、まったく未完の状態から書き始める。そもそも結論すら決めていないことが多く、どこへ着地するのかは降りてみるまで分からないといった有様だ。起承転結もろくに考えていない。書いていくうちにテーマが変質することすらある。しかもアップロードしてから読み直して修正することが多い(一度アップロードするといくらかでも第三者の目で読もうとするようで、そこで初めて手を入れたくなる様子)。

文章だと時間をかけられる分だけいくらかましなのだが、私の場合「話をまとめるのが下手」「話が飛ぶ」という特性がある(と、この文もいきなり導入部からすっ飛んでいるわけだが、今回はこっちがテーマだ)。
このまとめの下手さ加減については、私の生来の思考形態が近視眼的であることをはじめとした様々な要因が考えられる。演繹的思考をするというのもその一因ではないか、といった指摘を受けたこともある。原因分析もさりながら、構成マニュアルとでもいったものを作成しそれに沿うなどすれば本来よいのだろうが、その手のことに労力を割く気がこれまでさほど起こらなかった。おそらく文章でのそれに対してはさほど真剣に悩んではいなかったのだろう。文章になってしまえば、構成なんて多少下手でもどうにかなる(伝わってないといって大騒ぎはするわけだが)。だがそれなりに悪あがきはするので、遅筆だ。
知人でライターをしているような人に「書くのは速い方ですか?」と訊いてみると「仕事で文を書き始めてから筆が速くなった」といった答えが返ってくることが多い。やはり仕事となると省時間化をはからないとどうにもならなくなるから手順を確立するのだろう。

文章のことは一旦さておき、口語会話中の話のまとまらなさ加減については割と真剣に悩んでいる。実際には悩んでいるという自覚すらしていなかったのだが、最近「話飛ぶよねー」と人から言われ、そういえば飛ぶなぁ、そしてまとまりが悪いなあと自覚するに至り、あまり会話をリードしようとせずリアクション型で会話参加するという現在の私のスタイルが培われたのもそのまとまらない話をすること自体への苦痛があったからではないか、と仮定してみている。あと人にものを教える系の職を職業選択肢として考えたことがないのも説明下手のせいなのではないかとか(家庭教師は成り行きで半年間やったことがあるが、あまり芳しい結果は得られなかった)。
口語会話にはあまり時間をかけて考えている余裕はないわけだが、その中で必要が生じた場合、きちんとまとまった話ができるようになるにはどうしたらいいのだろう?やはり普段から構成のまともな文章を志向して書き、そうした思考への癖づけをするのがよいのだろうか。

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余談ながら過日「僕はもう十分考えた((c)ハウル)、よししばらく細かいことを考えるのをやめるぞジョジョーーーー!!」などと思うに至ったのだけどなんだかんだで結局こうして考えていたりもする。まあおそらくは字面ほど「悩んで」はいなくて、気が向いたら文章構成マニュアルでも作るなりアウトラインプロセッサを使い始めるなりしたりして、口語会話だと結局はリアクションに回り、興が乗ればまとまらない話を始めるのだろう。そんなもんだと思う。

投稿者 narukami : 2007年01月23日 14:20 | トラックバック
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