2007年01月18日

理解されたい病とはてな匿名ダイアリー(1/18)

 ちょっとした文章を書く際、どの知人層に何を伝えたいか?という点にも勿論左右されることだが、しばらく前までmixiを使うことが多かった。しかしそうやってmixiに何か書いた際、ついたコメントに対してどう返すかを考え過ぎて多少疲れを感じるようになったので、最近ははてダでいろいろ書き散らかして遊んでいた。mixiと違って基本的に人に反応されない(されることもあるけど)というのは随分お気楽なものである。しかしはてダ自体は一部のはてな界隈の人への売名のため(何)に始めたものなので(なのに書き散らかしっぱなしなのでいまいちやる気が感じられないとかいうのはさておき)あまりに反応がないのもさみしいようなそんな気がして何も言えなくて夏。冬です。
 そこで気分を変えてはてな匿名ダイアリーに手を出してみたら特に釣りで書いたつもりもないのに早速はてブされたり叩かれたり持ち上げられたりした。そこでいくつか気づいたことがあった。
 これまで、自分の文が下手で言いたいことが伝わらなかった場合や、そのために批判を的外れと感じた場合、基本的にそれに耐えられなかった。「そこはこう言いたかったんです」と訂正せずにいられないのだ。それはごく最近にもmixiでやったばかりのことでもある。
 しかし今回は初めての匿名ダイアリーだったので、叩かれてそれを的外れだと思ったからといって中の人がのこのこ出ていくのもあまりに無粋すぎる、とおとなしくしているうち、はてブコメントにおいてある人は叩くけれどもある人は褒める、という感じで、受け手の意見がそれぞれに分かれていく様を目の当たりにした。特別なことでもなんでもないのだが、その事実を通して自分が「理解されたい病」から幾分解放されるような感覚があった。

 誰か一人の意見が場全体の総意ではないことは理解しているつもりだった。だがその一人の意見が周囲に与える影響を随分大きく見積もっていたのかもしれない。だからたとえ一人にでも誤解されることを怖れていたような気がした。勿論、社会性が付与された場面でなら、匿名同士の意見よりはその手の影響が色濃く出ることになるのだろうけれど。
 しかし一人わかってないくらいのことは実際そんなに気にするほどのことでもないし、気にしたからって何かを変えられるわけではないんだろうな、と。変えられるとしたらそれは少なくとも、「そこはそうじゃないんです」と言って回るような類の行動を通してではないのだろう。

1行まとめ:
匿名で好き勝手なこと書いたりそれについて意見されたりするのってしがらみから自由だからいいよね(いいよね)!!

追記:
とかいうことをやってるから論旨がぼけるのかそうか

追々記:
2chでその手の経験をしなかったのは多分いつもためらわずに「そうじゃないんです!!」って書いて「後付けでいろいろ説明するな」って叩かれてたから。

投稿者 narukami : 2007年01月18日 17:15 | トラックバック
コメント

追々記にワロタ

Posted by: 渦 : 2007年01月18日 20:03

本望です

Posted by: ナルカミ : 2007年01月18日 21:00
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