今更読みましたシリーズ第n弾。
デイヴ・ペルザー『Itと呼ばれた子(幼年期)』を読んだ。
予備知識なしに読んだから
ネグレクトや無関心の果てに
実の母親から「It」扱いされた話なのだとばかり
思っていたわけですよ。
しかし蓋を開けてみたらば、その予想は外れていた。
そこにあったのは
もっとその。なんというか。
実の母親による「積極的な虐待」であった。
更に驚いたことには
慈愛に満ちた幸せな家族の時代もまた
その虐待以前には存在していたということでもあり
何人も居た兄弟の中から
彼一人だけがスケープゴートとして選ばれたということでもあり
死んでしまわないことが不思議なほどの虐待の数々がそこにはあり
しかし現実にそれに晒されているわけではない私の目には
一体この母をしてその虐待に駆り立てたものは
何であるかの見えなさ加減がその行為自体よりも恐ろしく映った。
極めて性善説的な考えかもしれないが
精神的に正常な状態にある人間は
無抵抗な人間(ないしは動物)を理由なく攻撃はしないものだと
私は思っている。
精神的に追い詰められたために
"理由"が一般の基準を外れたようなケースもまたあるだろう。
この幼年期編には
母親が彼にだけ虐待を行なった"理由"は描かれていない。
彼の自伝的作品は三部作なのでそちらで語られているそうなのだが
少なくともこの作中にそれは出てこないので
なんともやり場の無い思いがする。
平行してドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』も読んでいたのだが
こちらも実の母から幾分程度は軽いが虐待を受けている。
しかしそれは分からなくはないのだ。
自閉症という症例に対する知識が全く無く
そうしたものがあると思いもよらなかったなら。
言うことを聞かず奇矯な振る舞いに及ぶ我が子に対して
しつけに名を借りた体罰の度が過ぎたり
やがて自分の子ではなく何かの間違いと思い込みたくなったり
してしまうのは。
良し悪しは別としてそうする"理由"はよくわかる気がするのだ。
しかしそうした明確な"理由"は
この『Itと呼ばれた子』の母の中には
幼年期の時点では見出せず。
身だしなみも構わなくなりだらしなく太り
世の中の全てに敵意を抱くかのようになっていく母に
何かが起きていることだけがただ伺えるけれども。
自分に近いけれどもその事実を否定したいものに対して
人は憎しみを向ける。
例えば私は同人やってる人やコミケ行く人や
あとカルトジプシーは嫌いなのだが
無関心ではなく嫌いというベクトルを感情が持つのは
どこかで近い存在なのを内心分かっているからである。
…ということに気づいてからは積極的に叩こうとは思わなくなったけどね。
まあそれは別の話だ
彼がその母にとって
否定したい存在とされてしまったのかどうかは分からない。
とりあえずそこをクリアにするため
あと二作も読んでおきたいと思う。
しかしなんかなー
虐待モノに「関心が高い」つーと聞こえはいいけどさ
そういうテーマをわざわざ選んで読みたがる自分というのが
ある意味心配です
カレカノ虐待編とかも自分的に大盛り上がりだったからなあ
><><
Posted by: ナルカミ : 2005年12月21日 23:23