2005年10月31日

ハンナ(10/28)

10/28に『ハンナ』という
ろう者演劇を観に行った。

ナチスが台頭する時代に16歳の誕生日を迎えたドイツ人の少女ハンナ。
彼女は聾者だったが、聴者の両親と聾者の兄と共に幸せに暮らしていた。

そこへナチスが聾者を対象とした断種の実施と
聾者同士の結婚の禁止を制定する。

兄妹を断種から守るため、家族はばらばらに散り
ハンナは修道院に身をひそめるがそこへもナチがやってくる。
シスターの振りをさせられつつ、他のシスター達の機転で聾者であることを隠しきるハンナ。
後に彼女はフランス・パリへ逃れて喫茶店に住み込んで働き始め、
そこの客として出会った同じく聾者である青年と恋に落ち、結婚する。

しかしパリにヒトラーがやってくるというニュースが流れる。
ハンナはドイツ在住時代の隣人と再会し、
兄がナチスに捕らえられたことを知り、
身重のハンナと夫はパリを離れる決意をする。

列車の中、偶然乗り合わせた医者や女性たちに助けられてハンナは出産する。

…これらの半生を77歳の誕生日を迎えたハンナが回想するという内容である。


聾者演劇なので、俳優陣も聾者であるし
発声される台詞というものはない。(効果音やBGMはかかる)
手話あるいはジェスチャーによって台詞は表現され、
手話に通じていない聴者の観客のためには簡単な字幕が用意されている。

聾者の俳優たちは
皆普段から表現手段としてそれを用いているからなのだろうか、
演劇人であるということを計算に入れてなお驚くほどに表情豊かだ。

ハンナが見せる悲痛な表情は
発声される台詞がなくとも聴者観客の胸を激しくゆさぶるものであった。

例えば私は元々フィクションに対して大変涙脆い方であるのだが
劇の序盤、誕生日パーティーの楽しい雰囲気の中へ
ナチスの政策に憤る兄が飛び込んできたときの
不安と失望と悲しみの入り混じったハンナの表情だけでもらい泣きできてしまうのである。

或いはこの兄がナチスへの怒りを訴える場面において、
声にはならない呻き声というのが
激しい身振りや手話で彼の発言が続く間中漏れ聴こえてくる。その悲痛な響きたるや。

一方で動作による演出、表情づけもまた豊かであり
列車の中で出産した赤子を抱き上げるシーンでは
赤子はなんと布一枚をそれらしく抱きかかえる腕の形によって表現されるのである。


劇の終わった後は、
日本語版の演出者と仏語版作者(トルコ人のレヴェントさんという方)による
手話での挨拶あり。(こちらは同時通訳がつく)


劇中でも字幕に目をやる一瞬というのは俳優の演技が見られないわけなので、
十全にこの劇を楽しもうと思うならば
やはり手話を勉強せねばならないのだろうか!?(笑
と思った。

それにしても起きたことの悲惨さは筆舌に尽くし難くもある。
断種なんて言葉を人間に用いる場合があるとは知らなかったよ…。


ちょうど最近になってフランクルの『夜と霧』を読んでいるところでもあった。
高校時代に世界史をやらなかった子なので
こうした史実物をより理解するためにも
一般教養レベルの世界史をおさえておきたいなあと思う今日この頃である。

投稿者 narukami : 2005年10月31日 21:40 | トラックバック
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