ある考えに対してそれを拒絶したり否定したりする人は
「その考えを受け入れたくない」
「自分の考えを曲げたくない」
あるいは
「その考えに理解を示すことで何かが失われると思っている」
というメッセージを発している
そこまでして守りたい何かがあること
そうまでしてしがみついている何かが
自分の考えのどこかにあるということを
当人に気づかせるのには意味があるが
気づいた後は拒絶ではなく「選ばない」という形を取ることもできる
それでも拒絶し続けるかどうかはあくまで当人の選択なのだ
拒絶し続けようとするならばそれを急に変えさせることは他人には出来ない
少なくとも当人には変化を拒むだけの理由があるのだ
「人は本心を簡単に言葉にしたりしない」
-Q.E.D.
ともすれば私達は
相手が無意識にそれを行っているなら気づきを促してあげたいとか
助けてあげたいとか
そういう悪意なき気持ちに始まって
時には感謝されて自己確認がしたかったり
時にはいっぱしのカウンセラー面がしたかったり
時には自分の考えの正当性を証明したかったりと
私欲に目が眩んで相手の意見を翻させようとしすぎてしまう場合がある
それがどれほどに相手の気持ちから離れたところで行われる行為であるかを知っておく必要がある
あくまでも立ち向かうのならばそれは
何故拒絶しなければならないかという根本の理由に対してになるのだ