年賀状の用意がなかなか終わらずにいた。
宛名書きはほぼ終わったが、相変わらず裏書きは書きあぐねているという、そんな暮れのこと。
面白いデザインのものがないかなと会社帰りに池袋LOFTに寄った。
実に今更な時期でありながら考えることは皆同じと見え、ものすごい人だかりが出来ていた。
人の合間を縫って見本を見て回るうち、花札意匠を使った見本が目に入る。
所謂「猪鹿蝶」の猪の札だ。
12年に一度の亥年。見ているうちにどうしてもこれを使いたくなってきた。
しかしプリントものでその手のは存在せず、スタンプだけがあった。
スタンプの見本を眺めているうち、エンボス加工がやたら楽しそうに見えてきて
ついそれ系を一式買い込んでしまった。
今から出すと元日には届かないよと言われるこの時期になって年賀状で大出費か!!
まったくもうバカねアタシ!!1!
考えてみれば絵心字心が無い人間であっても、
違う方向に創造性を発揮できる余地があるのが年賀状なのかもしれない。
工夫してオリジナリティを出す楽しみ自体は知っているつもりなのに、
まさに生まれてこの方ずっとという程の勢いでこのイベントを軽視していたなあと思う。
儀礼的だとか形骸的だとか、そんなイメージに反発するかの如く。
しかし反発などしている時点で既に虚礼から自由ではないのだ。
制限が与えられているなら与えられているで、自らの置かれた境遇の中
いかに自分らしく遊ぶか――それが来年のテーマになるのではないかと感じている。
実家の母は今、絵手紙に凝っている。
季節感を織り込んだ絵を水彩で描いた葉書が折々に触れて届く。
その気持ちが今ようやく分かった気がする。自らの創造性を人に向けることができる、
それ自体がなんとも楽しいことなのだ。