2004年12月24日

認識の向こう側にあるもの(12/22)

髪を切りました。といっても5cmくらいなんで全然。まだロンゲです(ロンゲちがう
4月以来の来店ですねと言われてびっくりしました。夏に一度行ったつもりでいたから。
お気に入りの美容師さんが1月で辞めてしまうそうで、
そうなったらもうどこの美容院行ったらいいのか。また放浪の日々が始まります。

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先日、無料電話カウンセリングで3人目にあたるカウンセラーさんとお話をしてみました。
「何をしてでも変わりたいですか?」と最初に訊かれて「はい」と答えると
「うんまずそれが言えないとダメなんですよ〜」と朗らかな声が返ってきた。

この人が結構当たりっぽくて。

例えば「恋人には一緒に居てほしい」と言うとすると。
「それはどれくらいの時間一緒に居たいのか」という問いが返ってくる。
「1日中?1週間のうち何日?毎日?仕事のある日でも?」とたたみかけられるうち、
「え、えっとそこまでじゃなくても」とひるむと。
「自分で具体化できていない要求を人につきつけても相手も交渉のしようがないし、
そこで『なんで一緒に居てくれないの』と不満をぶつけたとこで
どれくらい一緒に居たら満足なのか相手にはわからない」と言われるわけです。

ほー。

何かこちらが問題提起をすると、決して「どういう風に?」とか「どうしたらいいと思う?」とかいった
漠然とした問いを投げてよこさない。
「どういう状態になれば○○ってことだと思う?」だとか
「○○にするためには何が必要だと思う?」とか
こっちがまず具体的にイメージしなければならないような問い方を用いる。
つまりそれは普段どれだけ自分で"わかってるつもり"になっている
自分の希望や欲求について、人に説明できる形になっていないかということを思い知らされる。

他に私的な指摘(いやそのあの)としては、
・「お父さん」(まあ心理学的に言うとアニムスなんだが)とうまく折り合えていない
・傷つくというのは投影の問題であって当人がどう受け止めるかだけなので、
 ひどいことを言われたから傷ついたのではなく
 気にしている何かに触れられたから傷ついたのだと知れば傷つくことで相手を恨むことはなくなる

この人いいかもー、と思い。面談カウンセリングをやってみることにしました。

これがまたものすごく面白かったのです。


「ふられたときに食事も喉を通らないほどぼろぼろになったとしたら、
それは相手のことを本当には好きではなかったのだ。」

えぇー普通すごい好きだったからぼろぼろに凹むんじゃないんですか!

そのこころは。
相手から愛情をもらえると思ってたのがもらえなくなったことで
それに対し裏切りのように感じたりプライドを損なったりしているだけで。
自分がきちんと愛情を相手に与えることができていたら
ダメになったことを多少悲しみはしてもそんなに身体影響出るまでに至らないという話らしいのです。


あと。
「私わがままでものすごく怒りっぽいんですよ」と言うと
「・・・全然そんな風に見えませんよ?会ってみた感じ優しそうだし冷静に自己分析してるし。
具体的にはどんなところでわがままを言って怒るんですか?」
と訊かれる。
事例あげてみる。
「んーでもそれは怒るのももっともなのでは?」
いやだってそれは私視点でモノ言ってるから!!あと頻度とか伝わってないから!
「自分にとってはもっともな筈のところで怒って、でもそれを人から否定されてきて、
怒ることそのものにものすごい罪悪感を持っていませんか」 
・・・。

というわけで愛情って何はたまた友情って何、
怒るって何怒っちゃいけないのは何故どうしてどういうとき?と
今まで自分がもってた認識にさんざん揺さぶり入れられて帰ってきましたよ。
いや不快さはなくて面白かったんだけどね。面白いんだけどこれからどうしたらいいのよー、って感じ。

多分ね。「それは好きなんじゃないよ」とか「それは怒っていいんだよ」って
言われたようで言われたわけじゃない、
ただ自分が信じ込んできた認識から一度解放されて
その上で見つめ直すためのステップなんだと思う。


自分的にはヒットしたので割と人に勧めたい心境です。
まあ値は張る上に1回で終わるとは限らないとこが財布に優しくないんですが・・・。

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そういう背景もあり。
これまでなら抑圧してきたとこでしなかったらどうなるのかな、
という実験ってわけでもないですが
自分でも手探りで進むような思いで
久々に抑えないでストレートに人前で怒ってみたのが清算の話です。
そういう私的事情に巻き込んでしまった部分もあるって意味ではごめんね皆さん

お蔭で抑圧しながら怒ってた間は気づけなかったことがわかったり。

投稿者 narukami : 2004年12月24日 02:10