無料お試しが利くことに図に乗って別のカウンセラーさんともお話をしてみることに。
やはり面談の可能性も見据えたいので、関東在住の女性のカウンセラーさんから
当面悩んでいることについて得意分野としているらしい人を選んでみると。
運良く今日電話して今夜の予約が取れました。
さて今回の結果は・・・
うーん、喋りすぎる人でした(苦笑
これが提案型なのかッ!!
最初はオーソドックスに家庭背景の話なんかしてました。
例えば私は心的に近しい人(あるいは近くあって欲しい人)であればあるだけ
無条件の肯定や理解を要求しがちな傾向にあるんですが、
(の割には「お前のためなら死ねる」とか言う人には('A`)あぁ?とかいう反応を返したりもすr
情熱家はあつくるしいんですよ。しかし実は穏やかで公正冷静な人に惹かれるという自分の好みは
ナルカミさんの性格的には茨の道だったと思いますよー、と前回のカウンセラーさんに言われた)
家族愛という観点からこの病理(?)を見るとするなら
・家族愛に飢えて育った人
・家族愛をふんだんに受けて育ったので
周りの誰もがそういう質の愛情をくれて当たり前と思っている人
の2パターンに分類することができるようで。
後者の方は言われるまで想像してなくて、
特に愛情に飢えて育った覚えもないのになんでこんななんでしょおかしいなー
といつも思っていたのでなんか「ああ、そっちもありか」とポンと膝を叩きたくなる気分に。
とはいえ愛情に満ち溢れて育ったらもっと
まっすぐで僻みや歪みのない人格が形成されてしかるべきではないのかッ!?
しかしこの辺は客観的に見て愛情を普通に注がれて育ったかどうかではなく
主観上で満足できていたかどうか、の方が問題らしい。
まあ親嫌い嫌いと言いながら普通に大病もせずに習い事もさせてもらい大学出て就職できて
特に声高に言えるような不満はないつもりでしたが
小学生くらいから既に親と何かを対話することを諦めていたことなんかを思うと
やっぱりそれなりに不満は抱えていたような気がする。
そこからアプローチは次第に予想外の方向へ。
行動と思考が乖離している人というのはなにやら
それまで抑圧してきた感情が澱の如く凝り固まってしまっていて
それが行動と思考の自由な行き来を阻害しているものなのだそうで。
切りたくないのに手首切っちゃう、会社行きたいのに体が動かない、とかの人は
その澱を取り除いてやることで行動と思考を一致させられるようになったりするのだと。
と、こうなってくると宗教とかそっち系っぽく見えるかもですが違うんですよぉー、
と本日のカウンセラーさん。
電話でのカウンセリングで出来るのが普段の生活の中で認識の変化を促すものだとしたら
面談形式のセラピーでできるのが深層心理に働きかける形で変化を促すもの、なのだそうです。
その人がやってるカウンセリングはそういう感じらしい。
うーん、でも認識の変化がちゃんと意識できる方がどっちかといえば好きかなぁ・・・(苦笑
だって「なんかよくわかんないけど変わりました私!」とか言ってもーなんかー(何
無意識に変わるのってちょっと部分的に自分自身じゃないような気がするというか
あれだ、整形して自信がついて性格が明るくなるとかそういうのに近い話に聞こえてしまう。
まあそれでも結果良ければオーライではあるのだろうが
やっぱ「大嫌いな弱い僕」も置き去りにしないで一緒に幸せにしてあげたいじゃないっすか。
それでも割と劇的な変化が起きるらしくそういう事例も紹介されて確かに興味は惹かれたものの
カウンセラーさんの話が微妙にわかりにくいというか
事前知識があって「あ、こういうこと言ってるんだろうな」と
こっちが補いながら話を聞く感じだった面もあり
気持ちに沿ってもらう、とかそういう感じではあまりなかった故、
この人に委ねてみようかと思うには決め手に欠けるのでありました。
あと面白かった話としては
感情の澱を溜め込んで出しもせずそのことに気づきもせずに放っておくと
だんだん抑圧した感情がオーラのようにその人から滲み出るようになって、
同じ感情を抑圧している人を知らずと惹き付けてしまうらしい。
ので私の周りには何か抑圧した怒りを溜め込んだ人が居るらしいですよ!!(ぇ
「抑圧した怒りを溜め込んだ人」
……私ですか?私ですね。
やたらしゃべるカウンセラー…
私も苦手かもしれません。
いやえーと書き手としては特定の人を想定してはいません(;´д`)一応
Posted by: ナルカミ : 2004年12月09日 20:30#谷) ←こんなひとかな
Posted by: リン : 2004年12月10日 12:44(谷*
Posted by: ナルカミ : 2004年12月11日 17:13