2006年12月23日

病人日記(12/22)

自他含めて最近のいろいろな動き(なんの)を見ててこんな風に思うようになった。

行動と理想(=言説)が一致していない場合、表れている言説よりは行動によって思想を評価されるのは当然のことでありながら、いざ自分自身がそういう評価のされ方に直面した場合"自分が本当は理想のようにありたいと考えている"ことを理解されていないように思えてそれがずっと辛かった。のだが。
理想と行動の不一致に自分自身苦しんでいる事実、またそれを理解されたいという欲求は確かに存在するのだけど、それはそれで万人に望めるものではないし一人に分かってもらえなければ別な人に話してみれば良いわけだし、理解してもらえたらそれで良かった筈が論破することで自説を認めさせたいという方向性に向かってしまったらそれはたとえ論破成功しても逆に感情的親和の阻害として働くよなあ、とか。理屈ではそういうことだろうなと思っていながらどうもしっくりきてなかったのだが、なんかもういっそ理解されたい病ならそれはそれで病人(何)らしくしていようという開き直りがようやく。

投稿者 narukami : 2006年12月23日 01:13 | トラックバック
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