なるかみさんは原則をつくってから演繹的に考えるタイプ
と言われた。
演繹ってなんだったっけ!!とか最初思ってWikipedia様で調べた。
演繹(えんえき、ラテン語 deducere)法は、一般的・普遍的な仮定からより個別的・特殊的な結論を得る推論方法である。対義語は帰納法。帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみだが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい。近代的には、演繹法とは記号論理学によって記述できる論法の事を指す。(Wikipedia)
何らかの個人的問題について考えようとするときに
まず一般論にまで拡大してからその問題を捉えようとする、みたいな
傾向があるってことなのかしらぁと。
原則を先に作っておきたいという傾向はおそらく強いので言われて納得な気がした。
人を見るときにもまず大雑把なラベリングをしてたりもするかもなー、とか。
勿論修正は随時しますが。してるつもり。
これまで、どういうのが演繹法でどういうのが帰納法、というのを意識したことはまずなかったんだけど、
そういう観点から人の行動を見たりそれについて話したりするのも面白そうだなあ。
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安定してれば幾分まともに判断できる事柄であっても、
何らかのストレスによって判断―それが自分で行なったものであってもだ―に
従いたくないと感じることが時々(それでも少しずつ減ってるつもりだが)ある。
もうちょっとうまくストレス自体を逃がせるようになりたいなぁと思った。
それと、早い段階で判断結果と自分自身の意見の乖離に気づくことも。
乖離があると発言目的が変わるから(例えば要するに愚痴であったりだとか)。
毎回発言目的をきっちり定めてから喋り始めるってわけにはなかなかいかなかったりもするのだが、
目的が見えないままでいると人の意見で都度揺らいで文字通り迷走する。