人と、ひとつの認識を共有したところから会話を始めることができなかったとき、
それ自体はどちらの落ち度でもなくただの現実に過ぎない。
なのに認識を共有していない発言をされたとき、
その発言及び自分の認識を一から説明することを辛いと思ってしまった。
勿論辛いと感じること自体は相手の問題、あるいは相性問題ですらなくて
ただ自分側の問題だと思っている、のだが。
相手は善意と好意とを持って接してくれているのに、同じだけのそれらを以て報いることができない。
当然ながら苦痛である。
それは「何故なのか」そして「どうすれば対応可能なのか」を考える必要があるのだが、
「何故なのか」を考えると「言いたいときに"No"をちゃんと言えてないから」ということになる。
しかし言いたい"No"は多分あまりに多すぎる。相手の求める距離感が私の望むそれに比して近すぎるのだ。
簡単に言えば「そんなにベタベタしてほしくない」。
距離感近いの自体がイヤというよりは、ズレが大きいと多めに精神力使うから。
基本的には当人がやりたいことをやればそれでいいと思ってて
だから遠慮して"No"が言えなくて我慢するとかいうのはナンセンスだと思うのね
てなことが人には言えても自分も遠慮してるとか何よもう。
そもそもズレることを辛いと思わなければ"No"自体ももう少し楽に言えそうな気がするんだけどね……。
最近自分の問題点つーのがウロボロスの蛇状態でさ
「Aが解決するとBも解決する」「Bが解決するとCも」「Cが解決するとA」
でもって最初の一点突破がなかなかできない、みたいな。そういう感じ。