お久々な人と飲みに行ってきました。下手すると1年振りコース?(´・ω・`)
相手にとって本当に大変だったであろうときに頼ってもらえなかったので
失望とか怨みとかではなくただもうどうしたらこの赤誠伝えられるのだろうかと苦悩した約1年でした。
まあ聞き上手でも癒し系でもないのはわかってるさわかってるつもりだけど
他の友達の近況を聞いていて「○○さんは実家に住んでて家と職場の往復で話も広がらないから」
と言われてドキッ。家と職場の往復すら今ありませんよ!?(つд`;)
例えば学校が同じとか職場が同じだとかの
生活の一部分を共にする、という限定条件を離れて。
全く違うところで生きていきながらそれでも話題を共有し相手との会話に何かを見出していくためには
本質的なところで相手に共感する部分と相手を尊敬できる部分がないと
駄目なんだろうなぁと思いました。
最近思い出すのは数年前に袂を別った奴の
「自分でダメってわかってることでも
それを人に話してしまうときは
叱って欲しいという思いもあるからだ」という言葉。
多少の甘えはしょーがないですよ、
でも自分でも分かるくらいダメな部分を見せておいて
更に叱ることまで人にやらせようってーいうのは。
なんかこう甘えすぎでしょと思うのです。
そういうことも今回頭にあって
"こうあるべきじゃないな"と少なからず感じている今の状態を
むざむざ相手の前に晒したくはないだなんて思ってもいた。
しかし近況を話すなら触れざるをえない面もあるわけで、
ああどうしようって感じで。
結果。叱られるのではなくて励まされるのでもなくて
ただの"そこで終わるタマじゃないだろ光線(何?)"出されて。
有難いやら申し訳ないやら。
数年来の懸案事項だった某ミュージアムに今年こそ一緒に行こうと思ってます。